5月18日の日記
2011年5月18日5月14日午後2時半。
場所、大阪市内の精神病院。
待合室には先客が5、6組おり、
オレは好奇心からその一人ひとりの顔を
マジマジと覗き込んでしまいそうになる自分を抑えるために
マガジンラックにあった数週間前の「週刊文春」を手に取った。
震災関連の記事を読むには気持ちが散漫だったので、
芸能ゴシップの記事でもないかとページをパラパラめくっていると
町山智浩さんのコラムに目がとまった。
チャーリー・シーンがこれまでにやった数々の奇行、
ぶっ飛んだ発言など、その破天荒にして破廉恥な半生を目の当たりにし、
ロックギタリストのスラッシュが、
「ヤツこそ本物のロックンローラーだ!」
と、半ば呆れながら絶賛したという話がそこには書かれていた。
チャーリー・シーンといえば、「プラトーン」だ。
この映画には思い入れがある。
いや、思い入れといえばかなり語弊があるのかもしれない。
なんせ、ストーリーをまったく思い出せないのだから。
ベトナム戦争の話だったような気がするが、それも定かではない。
リアルタイムに映画館で見たことを思うと、
当時いくらオレがマセガキだったとはいえ、
やはり内容が難しすぎて理解できなかったのだろうと思う。
とにかく、この映画自体について思い出せることは
チャーリー・シーンが出ていたということと
両手を広げて天を仰ぐシーンがあったこと以外何もない。
オレがよく思い出せる、というか
忘れたくても忘れられないのは、「プラトーン」自体ではなく、
それを見るまで、そして見た後のことだ。
当時、オレは近所にあった公文の教室に通わされていたのだが、
実は行っているフリをして、サボってはよく友だちと梅田や天満に出て遊んでいた。
で、あるとき公文に行くといって家を出るときに、母から月謝袋がわたされた。
そのとき、オレの脳裏にある考えがひらめいた。
この金で遊んでやろう。
さて、こういうとき常にオレの傍らにいたのは悪友T。
Tとオレは金の使い道も考えないで、
一先ず自転車で梅田に出た。
使い込んだ証拠を残すのはまずい。だから、おもちゃの類を買うわけにはいかない。
そういうわけで、コンビニで少々腹ごしらえをし、
その後、映画でも見ようかということになった。
ピカデリー梅田の前に自転車を停めた。
そこにあった看板で一番大きかったのが「プラトーン」だった。
両手を広げて天を仰いでいるヤツ。
オレはそのチケットを2枚買った。
それで月謝袋のなかはほとんど空になった。
このような計画性のない横領は当然ばれてしまうものだ。
また、一つの犯罪の発覚は、芋づる式にそれ以外の付随する
犯罪をも露顕させていくものであり、
公文にろくに行っていなかったことも同時にこのときばれたのだった。
「プラトーン」を見た次の週には公文をやめさせられた。
これはオレにとってはむしろ喜ばしいことではあったが、
同時に小遣いも止められたのはあまりに痛かった。
また、悪友Tとはこの1年ほど前にもボヤ騒ぎを起こしており、
それ以来、互いの親が「あの子とだけは絶対に付き合ってはいけない」
と自分の子どもに言い聞かせていたので、
今回の事の真相が明るみに出ていくにつれ、
醜い大人同士の争いにも発展していった。
もっとも醜いといえば、
1年前のボヤ騒ぎのとき、Tの完全なトバッチリにより
なにもしていないのに共犯者に仕立て上げられてしまったことを
秘かにネにもっていたオレは、
「Tに脅されてやった、オレはやりたくなかった」
と親にウソの申告していた。
これはこれで、子供ながら十分醜い。
あれから何年経っただろう。
子どもであったオレはただの汚いオッサンになり、
長らく消息を絶っていた悪友Tは、
5年程前に突如新聞紙上を騒がせる事件を起こし、
相変わらずの悪人ぶりを世に広くアピールした。
おそらくまだオツトメ中だろう。
そして――
端整なルックスでアイドル的な人気のあったチャーリー・シーンは、
愛欲蠢くショービジネスの荒波にもまれ、
すっかりイカれたロックンローラーになってしまったようだ。
生きるというのはなかなか大変なものですね。
そりゃ、精神病院も儲かるわ。
みなさん、がんばってください。
そうこうしているうちに、診察室からお呼びがかかった。
5月14日午後3時過ぎのことである。(つづく)
場所、大阪市内の精神病院。
待合室には先客が5、6組おり、
オレは好奇心からその一人ひとりの顔を
マジマジと覗き込んでしまいそうになる自分を抑えるために
マガジンラックにあった数週間前の「週刊文春」を手に取った。
震災関連の記事を読むには気持ちが散漫だったので、
芸能ゴシップの記事でもないかとページをパラパラめくっていると
町山智浩さんのコラムに目がとまった。
チャーリー・シーンがこれまでにやった数々の奇行、
ぶっ飛んだ発言など、その破天荒にして破廉恥な半生を目の当たりにし、
ロックギタリストのスラッシュが、
「ヤツこそ本物のロックンローラーだ!」
と、半ば呆れながら絶賛したという話がそこには書かれていた。
チャーリー・シーンといえば、「プラトーン」だ。
この映画には思い入れがある。
いや、思い入れといえばかなり語弊があるのかもしれない。
なんせ、ストーリーをまったく思い出せないのだから。
ベトナム戦争の話だったような気がするが、それも定かではない。
リアルタイムに映画館で見たことを思うと、
当時いくらオレがマセガキだったとはいえ、
やはり内容が難しすぎて理解できなかったのだろうと思う。
とにかく、この映画自体について思い出せることは
チャーリー・シーンが出ていたということと
両手を広げて天を仰ぐシーンがあったこと以外何もない。
オレがよく思い出せる、というか
忘れたくても忘れられないのは、「プラトーン」自体ではなく、
それを見るまで、そして見た後のことだ。
当時、オレは近所にあった公文の教室に通わされていたのだが、
実は行っているフリをして、サボってはよく友だちと梅田や天満に出て遊んでいた。
で、あるとき公文に行くといって家を出るときに、母から月謝袋がわたされた。
そのとき、オレの脳裏にある考えがひらめいた。
この金で遊んでやろう。
さて、こういうとき常にオレの傍らにいたのは悪友T。
Tとオレは金の使い道も考えないで、
一先ず自転車で梅田に出た。
使い込んだ証拠を残すのはまずい。だから、おもちゃの類を買うわけにはいかない。
そういうわけで、コンビニで少々腹ごしらえをし、
その後、映画でも見ようかということになった。
ピカデリー梅田の前に自転車を停めた。
そこにあった看板で一番大きかったのが「プラトーン」だった。
両手を広げて天を仰いでいるヤツ。
オレはそのチケットを2枚買った。
それで月謝袋のなかはほとんど空になった。
このような計画性のない横領は当然ばれてしまうものだ。
また、一つの犯罪の発覚は、芋づる式にそれ以外の付随する
犯罪をも露顕させていくものであり、
公文にろくに行っていなかったことも同時にこのときばれたのだった。
「プラトーン」を見た次の週には公文をやめさせられた。
これはオレにとってはむしろ喜ばしいことではあったが、
同時に小遣いも止められたのはあまりに痛かった。
また、悪友Tとはこの1年ほど前にもボヤ騒ぎを起こしており、
それ以来、互いの親が「あの子とだけは絶対に付き合ってはいけない」
と自分の子どもに言い聞かせていたので、
今回の事の真相が明るみに出ていくにつれ、
醜い大人同士の争いにも発展していった。
もっとも醜いといえば、
1年前のボヤ騒ぎのとき、Tの完全なトバッチリにより
なにもしていないのに共犯者に仕立て上げられてしまったことを
秘かにネにもっていたオレは、
「Tに脅されてやった、オレはやりたくなかった」
と親にウソの申告していた。
これはこれで、子供ながら十分醜い。
あれから何年経っただろう。
子どもであったオレはただの汚いオッサンになり、
長らく消息を絶っていた悪友Tは、
5年程前に突如新聞紙上を騒がせる事件を起こし、
相変わらずの悪人ぶりを世に広くアピールした。
おそらくまだオツトメ中だろう。
そして――
端整なルックスでアイドル的な人気のあったチャーリー・シーンは、
愛欲蠢くショービジネスの荒波にもまれ、
すっかりイカれたロックンローラーになってしまったようだ。
生きるというのはなかなか大変なものですね。
そりゃ、精神病院も儲かるわ。
みなさん、がんばってください。
そうこうしているうちに、診察室からお呼びがかかった。
5月14日午後3時過ぎのことである。(つづく)
5月17日の日記
2011年5月17日5月14日、土曜日は新幹線で大阪に行った。
行くと決めたのが当日14日の深夜だったので、
なにも準備していなかったが、
とりあえず、午前中につけばよさそうだったので、
6時に一旦起床、文字通り床から起きただけで、
その後すぐに予定通りソファーで寝直し、
7時過ぎにもう一度起きて、慌てて机のうえにあった
文庫本2冊を手にとり、サンダルをつっかけて家を出た。
二日酔い。我ながら酒くさい。
オレは走った。
バス停までの途中に銀行がある。
前日、というか、数時間前の黎明のときに、
タクシーの支払いをしながら
財布のなかにあと2千円くらいしか残ってないのに気づいた。
2千円では新幹線のチケットが買えないのは明らかなので、
銀行に立ち寄ることを、寝入るかどうかの直前の意識で漠然と決めていたことを
走りながら思い出したのだが、
前を通りかかると、あいにくシャッターが下りていた。
まあ、2千円あればバス代くらいはなんとかなる。
バスを降りてから、コンビニに寄ろう。
そう瞬時に判断し、止まりかけた足をそのまま前に動かした。
昨日調べたところによると、バスは朝のうちは30分おきに出発する。
7時半をのがせば、次は8時まで待たなければならない。
腕時計を見ると、7時24分を指している。
6分あればおそらく大丈夫だろうと思った。が、念のために走り続けた。
そんな感じで、息を切らしてバス停に着くとそこにバスはいなかった。
28分。間に合った、と思った。
が、その後30分を過ぎてもバスはやってこない。
バスが時間にルーズなのは知っているが、
始発でもそうなのか?
いや、もしかしたらオレの腕時計が少し遅れていて
もう7時半のヤツは行ってしまった後なのか?
などと考え、少し不安な気持ちになりかけたくらいに
バスはノコノコやってきて、そのままそこに5分くらい停車し、
7時45分を過ぎてやっと出発したのだった。
、、、いや、しかし、このバスに乗るまでのクダリは余計だな。
このペースでダラダラ書き続けると、本1冊分の文字量になりそうだ。
今日はこれくらいにして、明日にでもまた続きを書こう。
なんせ長いブログはみっともない。
次回は、この続きだが時間は、一挙に8時間先に進み、
5月14日14時半からとしたい。
場所は大阪市内の精神病院。
行くと決めたのが当日14日の深夜だったので、
なにも準備していなかったが、
とりあえず、午前中につけばよさそうだったので、
6時に一旦起床、文字通り床から起きただけで、
その後すぐに予定通りソファーで寝直し、
7時過ぎにもう一度起きて、慌てて机のうえにあった
文庫本2冊を手にとり、サンダルをつっかけて家を出た。
二日酔い。我ながら酒くさい。
オレは走った。
バス停までの途中に銀行がある。
前日、というか、数時間前の黎明のときに、
タクシーの支払いをしながら
財布のなかにあと2千円くらいしか残ってないのに気づいた。
2千円では新幹線のチケットが買えないのは明らかなので、
銀行に立ち寄ることを、寝入るかどうかの直前の意識で漠然と決めていたことを
走りながら思い出したのだが、
前を通りかかると、あいにくシャッターが下りていた。
まあ、2千円あればバス代くらいはなんとかなる。
バスを降りてから、コンビニに寄ろう。
そう瞬時に判断し、止まりかけた足をそのまま前に動かした。
昨日調べたところによると、バスは朝のうちは30分おきに出発する。
7時半をのがせば、次は8時まで待たなければならない。
腕時計を見ると、7時24分を指している。
6分あればおそらく大丈夫だろうと思った。が、念のために走り続けた。
そんな感じで、息を切らしてバス停に着くとそこにバスはいなかった。
28分。間に合った、と思った。
が、その後30分を過ぎてもバスはやってこない。
バスが時間にルーズなのは知っているが、
始発でもそうなのか?
いや、もしかしたらオレの腕時計が少し遅れていて
もう7時半のヤツは行ってしまった後なのか?
などと考え、少し不安な気持ちになりかけたくらいに
バスはノコノコやってきて、そのままそこに5分くらい停車し、
7時45分を過ぎてやっと出発したのだった。
、、、いや、しかし、このバスに乗るまでのクダリは余計だな。
このペースでダラダラ書き続けると、本1冊分の文字量になりそうだ。
今日はこれくらいにして、明日にでもまた続きを書こう。
なんせ長いブログはみっともない。
次回は、この続きだが時間は、一挙に8時間先に進み、
5月14日14時半からとしたい。
場所は大阪市内の精神病院。
5月11日の日記
2011年5月11日誰が持ち込んだか、『らくらく相対論入門』なる本が
家の本棚には随分前からあり、ずっと気になる存在ではあるのだが、
手を触れることすらできずにいる。
いくら「らくらく」とはいえ、それはある程度基礎学力のある人にとってであり
オレのような無知・無教養な人間にとっては、
1行たりともまともに理解できないような気がするからだ。
こんな状態が続くのは、精神衛生上よくないわけで、
どうにかならないものかと考えた挙句、
まず、この本を読めるだけの基礎学力を身につけようということになった。
オレは本屋にいって『らくらく相対論入門』と同じ講談社ブルーバックスから出ている
『新体系 高校数学の教科書』の上下巻2巻を購入した。
そもそも相対性理論とはどういう科目に属する理論なのか知らない。
少なくとも理系であり、国語や歴史とは関係ないような気はしたが、
理系といってもいろいろある。
アインシュタインが提唱したということは物理あたりか?
しかし、その物理を理解するためにはまず数学の基礎が必要ではないか?
そんなことを思い巡らせた末に、この上下2巻にいきついた。
購入して以来、何度か違うブームが自分にやってきて
そのたびに中断をしてはまた再開するということを繰り返した。
しかし、ここのところ毎日家に帰ってウイスキーを飲みながら
粛々と読み進めていくうちに、
気がつけば2巻の途中、「行列」までなんとかたどり着くことができていた。
目次によればあとベクトルと微積分などを残すのみだ。
さて、改めて高校数学を勉強してみて気づいたのだが、これはもう暗記科目である。
「公式なんて瞬時に導き出せる」と予備校のCMかなにかで講師のオッサンいっていたが、
そりゃあ、アンタは数学屋なのでできるのかもしれないが、
素人の人間ができるようになるには、かなりの訓練が必要なはずであり、
大学合格を目標にするなら、そんな訓練は時間の無駄。
数学のプロを目指す者でない限り、あれこれ考えず暗記してしまった方がよっぽど効率的なはずだ。
だいたい、このオッサンはなんのためにこんなことをCMでいっているのだろう?
思うに、自分の能力を高校生相手に誇示したいか、
あるいは本来創造性の涵養を目的とするべき学問において
無味乾燥にも「暗記」で対応できると断言することに
高校数学を生業とする者としてプライドが許さなかったのだろう。
数学というジャンル全体のことはよくわからん。
しかし、高校数学というごく狭い分野でいい成績を修めようと思うなら、
効率の面から考えて、つべこべ言わずさっさと暗記することだ。
これは、いい歳して『新体系 高校数学の教科書』を2巻の途中まで
読んできた人間として断言できる。
もっとも暗記だけでいいというつもりはない。
より効率的に暗記するためには、自分で公式を導き出すことはできなくとも、
導き出した手順や証明をみて理解しておく必要はあると思う。
なんせ、数字や記号の羅列をただ機械的に記憶していくのはなかなか骨の折れるものだから。
しかし、理解だけでいい。それを自分でできるようになる必要はない。
公式の証明まで暗記しなくていい。
公式の証明を理解したら、あとはその公式をただただ暗記するに限る。
テストでいい点を取れる高校生はこの辺のことに気がついている。
これはこれで頭がいいし、数学者にはなれるかどうかは別として、少なくとも高校数学のセンスがあるのだと思う。
オレには明らかにそういったセンスはなかった。
だから、0点を取ったのだ。
オレは生涯で3回0点を取っている。
1回目は小学生のときに漢字テストで取り、
その答案用紙を焚き火で燃やそうとしているところを親にばれた。
2回目は中学生の頃で、社会科だったような気もするが、
すぐにゴミ箱に捨てたので細かいことはあまり憶えていない。
3回目は高3の数学で、
その直前に、なんか変な作文を数学の教師でもあった
担任の先生に提出していたこともあって、わざわざ両親が学校に呼び出され、
「こいつは大学は無理だから中国にいかせましょう」
という密約がオレ不在の場で結ばれたのだった。
危うく高校卒ですぐに中国に送られるところだったが、
なんとかそれは免れて今日に至る。オレは中国には一度もいったことがない。
こんなことなら中国にいっていればよかった、と思うことはよくある。
まあ、そんなことはどうでもいいにして、「行列」までたどりついた今、
ガロア理論というものが気になりだし、
ガロア理論はオレでは理解不能ということは認識しつつも、
エヴァリスト・ガロアという夭折の天才数学者の生涯についていろいろと知りたくなり、
中公新書『ガロア』なども購入してしまったので、
『らくらく相対論入門』を読める日がいつになるのかまったく目処がたっていない。
本棚では『らくらく相対論入門』の隣に、『時間の不思議』という本がいつしか
並んでいた。誰が持ち込んだのだのだろう。
家の本棚には随分前からあり、ずっと気になる存在ではあるのだが、
手を触れることすらできずにいる。
いくら「らくらく」とはいえ、それはある程度基礎学力のある人にとってであり
オレのような無知・無教養な人間にとっては、
1行たりともまともに理解できないような気がするからだ。
こんな状態が続くのは、精神衛生上よくないわけで、
どうにかならないものかと考えた挙句、
まず、この本を読めるだけの基礎学力を身につけようということになった。
オレは本屋にいって『らくらく相対論入門』と同じ講談社ブルーバックスから出ている
『新体系 高校数学の教科書』の上下巻2巻を購入した。
そもそも相対性理論とはどういう科目に属する理論なのか知らない。
少なくとも理系であり、国語や歴史とは関係ないような気はしたが、
理系といってもいろいろある。
アインシュタインが提唱したということは物理あたりか?
しかし、その物理を理解するためにはまず数学の基礎が必要ではないか?
そんなことを思い巡らせた末に、この上下2巻にいきついた。
購入して以来、何度か違うブームが自分にやってきて
そのたびに中断をしてはまた再開するということを繰り返した。
しかし、ここのところ毎日家に帰ってウイスキーを飲みながら
粛々と読み進めていくうちに、
気がつけば2巻の途中、「行列」までなんとかたどり着くことができていた。
目次によればあとベクトルと微積分などを残すのみだ。
さて、改めて高校数学を勉強してみて気づいたのだが、これはもう暗記科目である。
「公式なんて瞬時に導き出せる」と予備校のCMかなにかで講師のオッサンいっていたが、
そりゃあ、アンタは数学屋なのでできるのかもしれないが、
素人の人間ができるようになるには、かなりの訓練が必要なはずであり、
大学合格を目標にするなら、そんな訓練は時間の無駄。
数学のプロを目指す者でない限り、あれこれ考えず暗記してしまった方がよっぽど効率的なはずだ。
だいたい、このオッサンはなんのためにこんなことをCMでいっているのだろう?
思うに、自分の能力を高校生相手に誇示したいか、
あるいは本来創造性の涵養を目的とするべき学問において
無味乾燥にも「暗記」で対応できると断言することに
高校数学を生業とする者としてプライドが許さなかったのだろう。
数学というジャンル全体のことはよくわからん。
しかし、高校数学というごく狭い分野でいい成績を修めようと思うなら、
効率の面から考えて、つべこべ言わずさっさと暗記することだ。
これは、いい歳して『新体系 高校数学の教科書』を2巻の途中まで
読んできた人間として断言できる。
もっとも暗記だけでいいというつもりはない。
より効率的に暗記するためには、自分で公式を導き出すことはできなくとも、
導き出した手順や証明をみて理解しておく必要はあると思う。
なんせ、数字や記号の羅列をただ機械的に記憶していくのはなかなか骨の折れるものだから。
しかし、理解だけでいい。それを自分でできるようになる必要はない。
公式の証明まで暗記しなくていい。
公式の証明を理解したら、あとはその公式をただただ暗記するに限る。
テストでいい点を取れる高校生はこの辺のことに気がついている。
これはこれで頭がいいし、数学者にはなれるかどうかは別として、少なくとも高校数学のセンスがあるのだと思う。
オレには明らかにそういったセンスはなかった。
だから、0点を取ったのだ。
オレは生涯で3回0点を取っている。
1回目は小学生のときに漢字テストで取り、
その答案用紙を焚き火で燃やそうとしているところを親にばれた。
2回目は中学生の頃で、社会科だったような気もするが、
すぐにゴミ箱に捨てたので細かいことはあまり憶えていない。
3回目は高3の数学で、
その直前に、なんか変な作文を数学の教師でもあった
担任の先生に提出していたこともあって、わざわざ両親が学校に呼び出され、
「こいつは大学は無理だから中国にいかせましょう」
という密約がオレ不在の場で結ばれたのだった。
危うく高校卒ですぐに中国に送られるところだったが、
なんとかそれは免れて今日に至る。オレは中国には一度もいったことがない。
こんなことなら中国にいっていればよかった、と思うことはよくある。
まあ、そんなことはどうでもいいにして、「行列」までたどりついた今、
ガロア理論というものが気になりだし、
ガロア理論はオレでは理解不能ということは認識しつつも、
エヴァリスト・ガロアという夭折の天才数学者の生涯についていろいろと知りたくなり、
中公新書『ガロア』なども購入してしまったので、
『らくらく相対論入門』を読める日がいつになるのかまったく目処がたっていない。
本棚では『らくらく相対論入門』の隣に、『時間の不思議』という本がいつしか
並んでいた。誰が持ち込んだのだのだろう。
5月9日の日記
2011年5月9日ここのところ、「ひとりじゃない」という言葉をよく耳にするが、
そんなときには、
、、、そんなことを言われても少しも慰めにはならんよ、
いや、たしかにひとりではないとは思うよ、
世の中これだけ人間がいれば、自分と似た境遇の輩もなかにはいるんだろう、
当たり前の話だ、そんなことは言われなくてもわかってる、
それより、「ひとりじゃない」と言っているヤツ、
コイツは「ひとりじゃない」うちのひとりなのか?
「ひとりじゃない」うちのひとりに「ひとりじゃない」と言われるならまだいいが、
同じ苦しみをのなかにいないヤツにそんなこと言われたくないよ、
だいたい偉そうなのが気にくわん、、、
などと、思いそうになる。
が、そのとき同時に、
、、、人が善意で言っていることにたいしてそんなことを思うもんじゃない、
そんなことを思うのは自分を貶めること以外のなにものでもない、
仮に「ひとりじゃない」という言葉が善意からではなく偽善から発せられたものであっても、
それで励まされる人間がいるのなら、それでいいのだ、
結果良ければすべて良し、
ていうか、なにもやっていないオマエは一体何様なんだ、
人のことを偉そうにと言う前に、少しはオノレを省みろ、、、
と、もう一人の自分がしゃしゃり出てくるので、
前の自分は急いで、頭のなかで言葉をもみ消す。
そこで、結局、
そう思いそうになった。が、オレはそんなことまったく思ってもいない、と
一連の意識の流れを頭の片隅で整理してみるのだが、
そのときには、並行してなにやらまた別のどうでもいいことに
思いをはせていたりもする。
ところで、改めて考えてみるに
苦しいときに「ひとりじゃない」と言われて、ほんとうに励まされるものなのだろうか?
「ひとりじゃない」という事実はたしかに励みにもなる。
いや、もっと正確にいえば、
「ひとりじゃない」という事実に励まされのならば、
その「ひとり」より不幸な人間にはもっと励まされるはずである。
この辺りは辛気臭い話なので無意味かもしれないのでこれ以上はやめておこう。
しかし、現実の場で「ひとりじゃない」と他人に言われたとしたら、
やはり「その根拠は?」とたずねたくなり、
それにたいして「キミにはみんながついているじゃないか」などと言われたときには、
思わず「はいはい、わかったわかった、ありがとさん!」などと言ってしまいたくなるだろう。
いや、それではちょっとトゲがあるな。
実際には「ああ、なるほど」や「うん、そうですね」などと言って、
波風立てぬようにするのかもしれない。たぶん、そうだ。
でもいずれにしても、言葉で言われるだけでは物足りなく、
結局はネットで検索して、ひとりでないことを確認してしまうのだと思う。
例えば、
今さっきも、昨日からの苦しみの原因である
「磯ブヨ」をgoogleの検索窓に入れた。
約8,950件(0.19秒)
オレにはこんなにも仲間がいた。
ひとりじゃない。
たしかに励みになる。が、痒みはまったく治まらない。
また、いくつかの磯ブヨ被害にかんするブログを閲覧していてもう一つ気がついたことがあった。
ほとんどのブログに見覚えがある。
毎年夏場前になると刺されては苦しみ、仲間をネットで探していたんだな。
「磯ブヨ 毎年刺される」
約2,170件(0.29秒)
この結果もまた、多少気休めにはなった。が、痒さはやはり一向に治まらない。
痒いだけならまだいいが、そのうちパンパンに腫れて痛くなり、熱まで帯びてくる。
約2週間この苦しみは続く。毎年このパターンだ。
もう、わかってる。
しかし、わかっているなら、なんで事前に「磯ブヨ 対策」とでも検索しておかなかったのか。
まあ、そんなもんだな。
そんなときには、
、、、そんなことを言われても少しも慰めにはならんよ、
いや、たしかにひとりではないとは思うよ、
世の中これだけ人間がいれば、自分と似た境遇の輩もなかにはいるんだろう、
当たり前の話だ、そんなことは言われなくてもわかってる、
それより、「ひとりじゃない」と言っているヤツ、
コイツは「ひとりじゃない」うちのひとりなのか?
「ひとりじゃない」うちのひとりに「ひとりじゃない」と言われるならまだいいが、
同じ苦しみをのなかにいないヤツにそんなこと言われたくないよ、
だいたい偉そうなのが気にくわん、、、
などと、思いそうになる。
が、そのとき同時に、
、、、人が善意で言っていることにたいしてそんなことを思うもんじゃない、
そんなことを思うのは自分を貶めること以外のなにものでもない、
仮に「ひとりじゃない」という言葉が善意からではなく偽善から発せられたものであっても、
それで励まされる人間がいるのなら、それでいいのだ、
結果良ければすべて良し、
ていうか、なにもやっていないオマエは一体何様なんだ、
人のことを偉そうにと言う前に、少しはオノレを省みろ、、、
と、もう一人の自分がしゃしゃり出てくるので、
前の自分は急いで、頭のなかで言葉をもみ消す。
そこで、結局、
そう思いそうになった。が、オレはそんなことまったく思ってもいない、と
一連の意識の流れを頭の片隅で整理してみるのだが、
そのときには、並行してなにやらまた別のどうでもいいことに
思いをはせていたりもする。
ところで、改めて考えてみるに
苦しいときに「ひとりじゃない」と言われて、ほんとうに励まされるものなのだろうか?
「ひとりじゃない」という事実はたしかに励みにもなる。
いや、もっと正確にいえば、
「ひとりじゃない」という事実に励まされのならば、
その「ひとり」より不幸な人間にはもっと励まされるはずである。
この辺りは辛気臭い話なので無意味かもしれないのでこれ以上はやめておこう。
しかし、現実の場で「ひとりじゃない」と他人に言われたとしたら、
やはり「その根拠は?」とたずねたくなり、
それにたいして「キミにはみんながついているじゃないか」などと言われたときには、
思わず「はいはい、わかったわかった、ありがとさん!」などと言ってしまいたくなるだろう。
いや、それではちょっとトゲがあるな。
実際には「ああ、なるほど」や「うん、そうですね」などと言って、
波風立てぬようにするのかもしれない。たぶん、そうだ。
でもいずれにしても、言葉で言われるだけでは物足りなく、
結局はネットで検索して、ひとりでないことを確認してしまうのだと思う。
例えば、
今さっきも、昨日からの苦しみの原因である
「磯ブヨ」をgoogleの検索窓に入れた。
約8,950件(0.19秒)
オレにはこんなにも仲間がいた。
ひとりじゃない。
たしかに励みになる。が、痒みはまったく治まらない。
また、いくつかの磯ブヨ被害にかんするブログを閲覧していてもう一つ気がついたことがあった。
ほとんどのブログに見覚えがある。
毎年夏場前になると刺されては苦しみ、仲間をネットで探していたんだな。
「磯ブヨ 毎年刺される」
約2,170件(0.29秒)
この結果もまた、多少気休めにはなった。が、痒さはやはり一向に治まらない。
痒いだけならまだいいが、そのうちパンパンに腫れて痛くなり、熱まで帯びてくる。
約2週間この苦しみは続く。毎年このパターンだ。
もう、わかってる。
しかし、わかっているなら、なんで事前に「磯ブヨ 対策」とでも検索しておかなかったのか。
まあ、そんなもんだな。
5月2日の日記
2011年5月2日親父のおでこにはシワが3本あって、
そこだけ、クリント・イーストウッドに似ているといわれていた。
そんな話を聞かされたのは、土曜の夜に高島忠男のゴールデン洋画劇場で
「サンダーボルト」という映画を家族でみた後だった。
「サンダーボルト」はオレが感動して泣いた初めての映画だ。
今思えば、泣くような映画ではけっしてないが、
当時はしばらく余韻を引きずってしまうくらい感動したものだ。
で、別にそれで憧れたわけではなかったと思うのだが、
自分のおでこにもシワ3本を再現したいと思い、
鏡の前に立って、上まぶたをグっと引き上げ、
眼をまん丸に大きくし、
おでこにシワを寄せてみた。
さすがは親子、変なところは似るもので、やはりシワが3本できた。
その3本のシワは今やなにもしなくてもオレのおでこにある。
しかし、クリント・イーストウッドに似ているといわれたことは一度もない。
この遊びにはすぐ飽きてしまった。そして今度はジュリーの存在が気になりだした。
特にその眼。腫れぼったい二重まぶた。
ジュリーはたしか、オレの親父と同い歳だったはず。
だからオレからみれば完全におっさんであり、さすがに今度も憧れるようなことはなかったはずだが、
どういうわけか、またそのマネがしたくなった。
オレは鏡の前に立った、上まぶたをまたグっと引き上げる、眼をまん丸大きくすると、
自分のまぶたの奥にも、もう一重まぶたが隠されていることに気がついた。
上まぶたが限界で下がってくるまで、奥に隠されていたまぶたを指で押さえる。
涙が頬をぬらす。
指を離した瞬間、一瞬自力で二重になっては、すぐ元に戻る。そして、またやり直し。
こんなことを毎日やっているうちに、
奥二重だったまぶたがくっきり二重に変わっていた。
ジュリーとは全然違っていたが、これはこれで棚から牡丹餅。
オレは満足だった。
それからだいぶたってからのことだが、
リーバイスのCMでジェームス・ディーンを見て、
その男前ぶりにオレは驚いた。
そこで、彼をマネて、上目遣いをしてみることにした。
久しぶりに上まぶたをグッと引き上げ、そしてあごを引いた。今度は鏡ではなく、目の前の相手の眼をみつめた。
おでこに3本のシワが寄っていたのを相手の眼のなかで確認した、、、といえばかっこいいが、
現実ではそんなことはなかなかできない。相手の方はオレに合わせて眼を見開いていたわけではないのだから。いや、もしかしたらつられて眼を見開いていたのかもしれない。それは想像するにありうることだ。がしかし、当時すでに近眼が始まっていたオレには見えなかったに違いない。
また、もっと似せるためには、眉毛をやや八の字にしなければならないとも思った。上目遣いは誰でもできるが、ジェームス・ディーンに似せようと思うと実はここがポイントだったりする。でも、これも確認はしていないが、はなから無理だと諦めていた。オレはそんな形の眉毛をしていない。むしろ上を向いている。
ジュリーのときもそうだが、これもまた全然似ていないのだろうな、と思った。
さて、ここ最近のことだが、眼鏡がよくずれた。
他の人間にもこの眼鏡をかけさせたが、やはりずれたので、
そもそもずれる構造の眼鏡をかけていたのだと思う。
ずれては戻すことを何度も繰り返していたが、
そのうちに戻すのがめんどくさくなり、
ずれたままの鼻眼鏡の状態でずっといることになった。
人と話すときには、どうしても上目遣いになる。
おでこには3本以上シワが寄っていたのだと思う。
先週、飲み屋でくだをまいていたところ、
「大村昆みたい」といわれた。
そうか、大村昆に似てたんだ、と思った。
、、、オロナミンCでも飲むか。
オロナミンCを初めて買ったのは幼稚園に入る前のこと。
たぶん、あれが初めて飲んだ炭酸飲料だった。
その衝撃たるや、今でも忘れることができない。
こんなまずいものがこの世にあるかと思った。
いや、まずいというより痛かったのだと思う。口のなかがピリピリした。
それでも、3日くらいかけて全部飲みきった。
母にねだって買った(西京極駅のキオスクだったと記憶する)以上、飲みきらざるをえなかった。
トラウマになったな。
ビールを覚えるまで、炭酸飲料を飲まなかったのはそのせいだな。
大人になるまでコーラ飲んだことなかったし、、、
、、、しかし、そんなことを考えるか考えないかのうちに、
「腹立つ」といわれた。
耳で聞こえた感じとしては、「大村昆に似ているはらたつ」である。
いや、もしかしたら「むかつく」だったかもしれない。
「腹立つ」と「むかつく」はかなり違う。
どちらかといえば、個人的には「腹立つ」といわれたほうがむかつくし、
「むかつく」といわれたほうが腹が立つ。
しかしいずれにしても、相手に不快な思いをさせたのはたしかであり、
そこまでして大村昆のマネを続ける気はない。
そういうわけで、オレは昨日眼鏡を買い替えたのである。
そこだけ、クリント・イーストウッドに似ているといわれていた。
そんな話を聞かされたのは、土曜の夜に高島忠男のゴールデン洋画劇場で
「サンダーボルト」という映画を家族でみた後だった。
「サンダーボルト」はオレが感動して泣いた初めての映画だ。
今思えば、泣くような映画ではけっしてないが、
当時はしばらく余韻を引きずってしまうくらい感動したものだ。
で、別にそれで憧れたわけではなかったと思うのだが、
自分のおでこにもシワ3本を再現したいと思い、
鏡の前に立って、上まぶたをグっと引き上げ、
眼をまん丸に大きくし、
おでこにシワを寄せてみた。
さすがは親子、変なところは似るもので、やはりシワが3本できた。
その3本のシワは今やなにもしなくてもオレのおでこにある。
しかし、クリント・イーストウッドに似ているといわれたことは一度もない。
この遊びにはすぐ飽きてしまった。そして今度はジュリーの存在が気になりだした。
特にその眼。腫れぼったい二重まぶた。
ジュリーはたしか、オレの親父と同い歳だったはず。
だからオレからみれば完全におっさんであり、さすがに今度も憧れるようなことはなかったはずだが、
どういうわけか、またそのマネがしたくなった。
オレは鏡の前に立った、上まぶたをまたグっと引き上げる、眼をまん丸大きくすると、
自分のまぶたの奥にも、もう一重まぶたが隠されていることに気がついた。
上まぶたが限界で下がってくるまで、奥に隠されていたまぶたを指で押さえる。
涙が頬をぬらす。
指を離した瞬間、一瞬自力で二重になっては、すぐ元に戻る。そして、またやり直し。
こんなことを毎日やっているうちに、
奥二重だったまぶたがくっきり二重に変わっていた。
ジュリーとは全然違っていたが、これはこれで棚から牡丹餅。
オレは満足だった。
それからだいぶたってからのことだが、
リーバイスのCMでジェームス・ディーンを見て、
その男前ぶりにオレは驚いた。
そこで、彼をマネて、上目遣いをしてみることにした。
久しぶりに上まぶたをグッと引き上げ、そしてあごを引いた。今度は鏡ではなく、目の前の相手の眼をみつめた。
おでこに3本のシワが寄っていたのを相手の眼のなかで確認した、、、といえばかっこいいが、
現実ではそんなことはなかなかできない。相手の方はオレに合わせて眼を見開いていたわけではないのだから。いや、もしかしたらつられて眼を見開いていたのかもしれない。それは想像するにありうることだ。がしかし、当時すでに近眼が始まっていたオレには見えなかったに違いない。
また、もっと似せるためには、眉毛をやや八の字にしなければならないとも思った。上目遣いは誰でもできるが、ジェームス・ディーンに似せようと思うと実はここがポイントだったりする。でも、これも確認はしていないが、はなから無理だと諦めていた。オレはそんな形の眉毛をしていない。むしろ上を向いている。
ジュリーのときもそうだが、これもまた全然似ていないのだろうな、と思った。
さて、ここ最近のことだが、眼鏡がよくずれた。
他の人間にもこの眼鏡をかけさせたが、やはりずれたので、
そもそもずれる構造の眼鏡をかけていたのだと思う。
ずれては戻すことを何度も繰り返していたが、
そのうちに戻すのがめんどくさくなり、
ずれたままの鼻眼鏡の状態でずっといることになった。
人と話すときには、どうしても上目遣いになる。
おでこには3本以上シワが寄っていたのだと思う。
先週、飲み屋でくだをまいていたところ、
「大村昆みたい」といわれた。
そうか、大村昆に似てたんだ、と思った。
、、、オロナミンCでも飲むか。
オロナミンCを初めて買ったのは幼稚園に入る前のこと。
たぶん、あれが初めて飲んだ炭酸飲料だった。
その衝撃たるや、今でも忘れることができない。
こんなまずいものがこの世にあるかと思った。
いや、まずいというより痛かったのだと思う。口のなかがピリピリした。
それでも、3日くらいかけて全部飲みきった。
母にねだって買った(西京極駅のキオスクだったと記憶する)以上、飲みきらざるをえなかった。
トラウマになったな。
ビールを覚えるまで、炭酸飲料を飲まなかったのはそのせいだな。
大人になるまでコーラ飲んだことなかったし、、、
、、、しかし、そんなことを考えるか考えないかのうちに、
「腹立つ」といわれた。
耳で聞こえた感じとしては、「大村昆に似ているはらたつ」である。
いや、もしかしたら「むかつく」だったかもしれない。
「腹立つ」と「むかつく」はかなり違う。
どちらかといえば、個人的には「腹立つ」といわれたほうがむかつくし、
「むかつく」といわれたほうが腹が立つ。
しかしいずれにしても、相手に不快な思いをさせたのはたしかであり、
そこまでして大村昆のマネを続ける気はない。
そういうわけで、オレは昨日眼鏡を買い替えたのである。
4月29日の日記
2011年4月29日考えをまとめたり、備忘録などに使えそうなので、
今更ながらブログをはじめてみることにした。
でも、このようにはじめてみて早速気づいたことがある。
書くことなどなにもない。
言葉が一つも出てこない。
ということはつまり、なにも考えていないし、
忘れてはまずいこともなにもないということだな。
これはこれで幸せなことだ。
わるくない。
しかし、ブログとは前もってなにか書くことがあるから始めるというものではなく、
ブログを始めることによって、書くことが生まれてくるものなのかもしれない。
たとえば、隣の席にいる同僚のおっさん。
45歳独身。万年ヒラ。歯周病以外なんの特長もない地味なヤツ。ほとんどしゃべらん。
こんな男の日常に、なにか書くほど面白いことがあるようにはとても思えない。
しかし、この男、仕事をしているフリをして一日の半分以上はブログでなにかを書いている(バレバレだよ、Oさん)。
こういう例をみても、ブログには手段と目的を逆転させてしまうような魔力があるように思えてくる。
危険なもんだな。注意しよう。
ともあれ、始めてしまったからには、
一人でシコシコやっていてもつまらなそうなので、
ランダムにいろいろみて、
こちらが勝手に興味をもった方々のブログにリンクさせていただきました。悪しからず。
当方は上でもいったとおり、書くことのない人間ですので、
酔った勢いにでも乗らない限り、めったに更新はしないかと思われますが、
末永くお付き合いいただければ幸いです。
今更ながらブログをはじめてみることにした。
でも、このようにはじめてみて早速気づいたことがある。
書くことなどなにもない。
言葉が一つも出てこない。
ということはつまり、なにも考えていないし、
忘れてはまずいこともなにもないということだな。
これはこれで幸せなことだ。
わるくない。
しかし、ブログとは前もってなにか書くことがあるから始めるというものではなく、
ブログを始めることによって、書くことが生まれてくるものなのかもしれない。
たとえば、隣の席にいる同僚のおっさん。
45歳独身。万年ヒラ。歯周病以外なんの特長もない地味なヤツ。ほとんどしゃべらん。
こんな男の日常に、なにか書くほど面白いことがあるようにはとても思えない。
しかし、この男、仕事をしているフリをして一日の半分以上はブログでなにかを書いている(バレバレだよ、Oさん)。
こういう例をみても、ブログには手段と目的を逆転させてしまうような魔力があるように思えてくる。
危険なもんだな。注意しよう。
ともあれ、始めてしまったからには、
一人でシコシコやっていてもつまらなそうなので、
ランダムにいろいろみて、
こちらが勝手に興味をもった方々のブログにリンクさせていただきました。悪しからず。
当方は上でもいったとおり、書くことのない人間ですので、
酔った勢いにでも乗らない限り、めったに更新はしないかと思われますが、
末永くお付き合いいただければ幸いです。
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