3月9日の日記

2012年3月9日
最近なんかあった? と聞いてきたので、なんもないな、とオレは答えた。しかし、なんもないことはないやろ、なんかないんか?とまた聞いてきたので、ないない、ほんまになんもない、とブッキラボーに答えてやったのだが、それでもまだ納得がいかないのか不服そうな顔をこちらに向け、いや、なんかあるはずや、たとえば、どっか行ったとか、なんか買ったとか?と、しつこく食い下がってきた。オレは思わず、天井を見上げる。
「ああ、そういえば・・・」オレは言った、目は上に向いたままだった。「鹿児島に行ったよ。ばあさんが亡くなったんで、その葬式に出るために行ってん」
「へえ、どうやった?」
「滞在時間4時間くらいかな。斎場に着くやばあさんの亡骸の前で、親と大ゲンカをしてしまった。
で、線香だけあげて、あえなくトンボ帰り。こりゃもう勘当やな」
「なんでまたケンカなんかしたん? オマエらしいけど」
「それがオレにもよく分からんねん。
なんかどうでもええことを話をしているうちに、気がつけば一方的に親が怒り出してた。
で、なんでそんなに怒ってるの? なんか傷つけるようなことをオレが言ってしまったんやったら謝るけど、
とにかく、こんなときにケンカするのはやめよう、ばあさんに申し訳ないやん、ってな感じのことを言ったら
またそれが火に油を注ぐ結果になって余計に怒り出した。
それで、もう収集がつかなくなったんで、オレがその場から消えることにしたんや。
まあ、振り返ればなかなかシュールな体験やな」
「シュールなんか?」
「シュールというより不条理かな。朝目が覚めたら、虫になっていたような感じや」
「虫?」
「いや、まあ、それはええわ。でも、これで親族からも見放されたから、
オレは名実ともに根無し草かつ天涯孤独の身になったわけやな」
「オレがいるやないか!」
「・・・・・・」
「他になんかないんか?」
「他? う~ん、ああ、そうそう、最近歯医者に行ってるねんけど、
そこの歯科衛生士のおねえさんに恋をしたのだ」
「また、ええ歳して、なに言うてんねん、オマエ」
「うん、確かにそう言われても仕方ないな。でもほんまに恋をしてね、その結果奇跡が起こった」
「奇跡?まさかそのおねえさんと付き合ってるとか・・・・・・?」
「うん、せやねん」
「……!?」
「いや、嘘や。まともに顔見ることすらできへんのに、そんなわけない」
「じゃあ、奇跡ってなんやねん?」
「なんと、驚くなかれ――」
「驚きはせんやろ、今さら。ええから早よ言え」
「なんと歯が新たに1本生えたんや」
「はあ?」
「急に生えてきてね。オレは普通の人より1本多く歯が生えているんや」
「ウソやろ、そんなことありえへんやろ」
「それがほんまなんや、ほら見て」と、オレは口を大きく開けた。
歯医者に通いだしてしばらく経ったくらいから、右の親知らずの奥の歯茎に違和感を覚えだした。
痛いわけではない。「ムズムズ」という表現が一番近いだろうか。
指で確認してみると、歯肉の下、歯茎の内側に固い突起があるのがわかった。
なかに歯が隠れているに違いない。
こういうときには、気にせず放置しておくことが推奨されるのは知っている。が、
気になりだしたらとことん気になるというもので、仕事中であれ、食事中であれ、
四六時中口のなかに指を入れては、問題の箇所を触ってしまうこととなった。
そして、そんなことをして3日が過ぎたくらいだったろう、表面を覆っていた歯肉は破れ、真っ白い歯の先端が顔を出した。
歯とは本来、こんなに白いものなのかと驚いてしまうほどそいつは白い。
「最初は親知らずの肉を被っていたところが露出しただけかと思ってたんやけど、
歯医者でレントンゲン撮って確認した結果、新しい歯ってことなんや」
「ああ、確かに変なところに真っ白なのがあるな。パッと見はちょっと大きめの口内炎やな」
「そう、歯科衛生士のおねえさんも最初はそう誤解してたんで、そうじゃない、これは歯やって説明したら驚いてたな。こんなの見るの初めてやって」
「で、なんやねん? オマエは人間か?」
「うん。ネットで調べてみたら、たまに歯が多い人っているみたいなんや。過剰歯っていうらしい。オマエ、アンドレ・ザ・ジャイアントって知ってるか?」
「あほかオマエ、オレを誰やと思ってねん。 昭和プロレスの権威たるオレにそんなこと言うか」
「アンドレも歯が多かったそうなんや」
「そりゃ、アンドレは人間やないから、歯の1本や2本は多かろうよ。
身長にしたって、公式には2メートル23センチってことになってたけど、
実際は、2メートル50ある天井に頭がつかえてたっていうし、
死ぬまで背ぇ伸び続けてたって証言もある。アンドレが人間じゃなかったって証拠は、これ以外にもなんぼでもあるよ」
「へえ、そりゃすごいな! じゃあ、オレも人間やないのかな」
「多分そうや。だから、親や親族からも見捨てられんたんやろ」
「オレは、これは恋した結果かな、と思ってるんやけど」
「なんでやねん!」
「・・・・・・」
「で、それ以外に最近なんかないの?」
「ああ?」
「他なんかないのんかって聞いてねん」
「ていうか、オマエほんまにオレが最近なにしたかってことに興味あるんか?」
「ないよ、そんなもん、まったく。
でも、だからといって黙って向かい合っていて、気まずくならん間柄でもないやろ」
「そりゃそやな。じゃあ、そいうわけで、そろそろ帰ろか」
「おお、そうしよ」
オレは席から立ち上がり、コートを羽織った。

1月26日の日記

2012年1月26日
今年に入ってからも、やはり書くことなどなにもなく、
相変わらず、漠然とした時間を毎日送っているのだが、
だからといって、なにもやっていないわけでは当然なく、
正月には人並みに初詣にいったし、
昨日は今年初めての月給をもらい、
かりそめながらも年末よりつづく財務危機を逃れ、
盛大な祝宴をあげたりもした。
また、新しいことばかりでない。去年から継続していることもある。
チャンピックスを飲みながらの禁煙はいまだに続いている。
今日で76日目。こんなはずじゃなかったのに。
しかし、どうやら本当にオレはこのまま非喫煙者になってしまうようだ。
もう後戻りはできないところまできてしまったのだから。

ところで、禁煙を契機にもう一つ始めたことがある。
歯医者に通いだした。
オレはこれまで虫歯とはまったく無縁で、
歯医者にはほとんどいったことがなかった。が、これは逆にいえば、
いっていない分、それだけ歯は汚れているということで、
特にタバコのヤニで全体的に黄ばんで見えるのがずっと気になっていた。
タバコをやめていいことなど、ほとんどなにもない。
走っても息切れしなくなるだの、飯が旨くなるだのと、都市伝説はよく耳にするが、
個人的には、そのようなことは一切なかった。
しかし、白い歯を取り戻すことはできるかもしれない。
オレはそう思い、歯医者にいくことに決めたのだ。
さて、いってみると、簡単な検査の結果、
自覚していなかった事実を歯医者より宣告された。
積年の食べかすが歯石と化して歯に蓄積しており、
歯茎をかなり蝕んでいるとことである。
また同時に、
これは一回ですべて取ることはできません。
数回に分けて取っていきます。
とも告げられた。
そういうわけで、今年に入ってから毎週土曜日、
歯医者に通うことになったのだが、
オレはそこで、エモイワレヌ快感を味わうと同時に、
それをオレに与えてくれる歯科衛生士に恋をしたのだ。

今、「恋をしたのだ」と書いたが、これは実は太宰治の「ダスゲマイネ」の
書き出し部分のパクリである。その小説の主人公が恋をした
お茶屋か団子屋の娘をこの歯科衛生士はイメージさせるから、
思わずパクってしまった。悪しからず。

恋をしたのだ。
指が歯に当たる。その肉感と体温が極薄の手袋をしていても伝わってくる。
歯石除去のための先の尖った医療器具が、歯と歯茎の間に当てられ、
鋭い痛みが走る。口のなかだけでなく、からだ中がゾクゾクする。
「お口をゆすいでください」と促され、紙コップにいつの間にやら貯められていた
水を口に含む。ペッと吐き出すと、水は真っ赤だ。
彼女はいつもマスクをしているので目元より下を見たことがない。
それに治療中になかなかジロジロ見るわけにもいかないので、
オレは彼女の顔を今、頭のなかに再現することすらできない。
しかし、だからこそ彼女をもっと見たいという欲望がオレのなかに沸き立ち、
その欲望と上に記した一連の血まみれの快感とが相まって、
オレはいつしか彼女に恋をし、
「ダスゲマイネ」のヒロインとダブらせてイメージするようになっていた。
恋をしたのだ。
もっとも、この恋は見込みがない。
大口を開けて、歯クソだらけの汚い口のなかを晒しているこんな男を誰が好きになるか。
オレはそれが恥ずかしくて、彼女と目を合わせることすらできないでいる。
彼女にとってオレは挙動不審な目をした一人の患者に過ぎない。
これは、絶望的な恋だ。
いや、絶望的だからこそ、恋なのか。
しかし、そんな観念的な話はどうでもよく、オレはまたこの言葉を繰り返し頭のなかで呟かずにはいられない。
恋をしたのだ。

以上のようなことはこれまでに誰にも話したことはないし、
実をいえば、今この文章を書きながら気がついたことがほとんどであって、
やはり書くほどのものではないし、自分のなかではいまだに漠然とした話である。
どうも、ここのところ少し考え事をするだけで、前頭葉の辺りがモヤモヤとした感じになる。
漠然としている理由もそこにあるのかもしれない。
この文章もモヤモヤしながら書いた。
チャンピックスのせいか。
それとも、やはり飲みすぎか。

12月8日の日記

2011年12月8日
これから書こうとしている話は、ずいぶん前に経験した出来事についてだ。
当時、時代の寵児のように持て囃されていた
ゲームクリエイターの男にインタビュー取材をした際の話である。
なんの取材だったかすら思い出せないので、細かい部分は省略するが、
そのとき、どういう流れからか「どういう本を読まれますか?」みたいなことを質問をしたところ、男は自信満々にこう答えた。

「読む本なんかない。もう読むべきものは、古今東西すべて読み尽くした!」

この言葉を受けてオレはいつものことながら、
「へえ~」などと言いながら感心したような顔をした。
が、当然本当に感心していたわけではない。
オレは表情とはウラハラに心のなかではこうつぶやいた。

「こいつはアカン、ニセモノや、すぐ消える」

実際、この男はすぐ消えた。
もうどこのメディアにも登場しない、たぶん。


↑まで書いて、「たぶん」で終わるのも気持ち悪く思い、件の男について
ネットであたってみることにした。
が、改めて調べてみようとすると、その男の名前がどうも覚束ない。
そこで、少し迂回にはなるが
「ゲームクリエイター」という言葉に、「デブ」、「ロン毛」など、
オレの記憶にある、男の身体的特徴と組み合わせてググってみたところ、
「ああ、こいつだ」とすぐにわかった。
かなり上の方に、その男の懐かしい名前が登場したのだ。
さて、検出されたサイトをいくつか見て知ったのだが、
このゲームクリエイター氏、時代の寵児の頃の勢いはないにしても、
地味ながら意外にしぶとく生き残っていらっしゃっるようだ。
これはどうも、失礼いたしました。
しかし、何年も前に心のなかでつぶやいた
「こいつはアカン、ニセモノや、すぐ消える」
という言葉を、今更撤回する気にはなれませんな。
まあ、あなたも私も若かったってことにしましょうよ。
応援してます、頑張ってください。
私も頑張ります。


話を戻す。
オレがこんな古い話を思い出したのも、実をいえば、ここ最近
オレ自身が「読む本なんかない」と感じているからだ。
いや、もちろんオレはゲームクリエイター氏のように、古今東西の本すべて読んだなどとは言わない。
むしろ、オレは基礎教養としておさえておくべき名著など、ほとんど読まずにこの歳まできてしまった。
しかし、それでも本屋へ行けば、数ある本の中で必ず数冊は読みたいと思えるものがあったし、読みたいと思わなくてもそのときの必要性に駆られて買ってしまう本が何冊かはあった。

しかし、今、本屋へいっても、そういうものがなにもない。
これはおそらく、面白い本、必要な本が少なくなったということもさることながら、
オレ自身が「本」というモノあるいは、文化から遠く離れた所にきてしまった結果なのだと思う。
ゲームクリエイター氏の発言に反発を覚えた頃の自分はもういない。
オレは数年前と全然違う場所にいるのだとしみじみ思う。

別に読書家や本好きが偉いというわけではないので、
読む本がないという事実を悲観する気にもなれないのだが、
「こいつはアカン、ニセモノや、すぐ消える」
などとナマイキにも、心のなかでつぶやいた自分を懐かしく思い、
少し切なくもなったので、
こんなどうでもいいことをダラダラと書いてしまった。

12月5日の日記

2011年12月5日
荒唐無稽な夢は、やがて論理的な破綻をきたし、
ここが現実世界ではないことを露呈したので、オレは目を覚まそうと意識をした。
ゆるやかに場面は変わっていく。そして、暗い部屋のなかで横たわる自分を
オレはそこに見出していく。
よかった。救われた。半分夢のなかにいながらオレはそんなことを思った。
ドクドクドクドクドクドクドク・・・
身体を揺らすように、心臓が速く、激しく、血の出し入れをしているのを感じる。
それは夢のなかから持ち越した身体的感覚であり、
まだ自分が目覚めていないのかと思わせる。
オレはそれが治まるのを待ちながら、
今まで見ていたものが夢だったこと、また今いる場所が現実世界であることの
自信を深め、そして、いつしかまた眠りに落ちていく……

夢とは、
現実世界での危機的場面や極限状況を疑似体験させることで、精神的準備、予行演習を
させるために備わった機能なのだろうか。
最近そんなことをよく考える。
もともと変な夢を見やすいほうであったが、ここのところはそれが激しい。
チャンピックス1mgを2錠毎日を服用していることの副作用なのか。
禁煙23日目。
おかげでもうタバコを吸いたいとは思わないが、
乗っている飛行機が墜落したり、原爆が頭上で投下されたり、警察にパクられたり、子猫を踏み殺したりと、 様々な非日常的な体験を夢の中でさせられている。
そういえば、タバコを吸ってしまった夢も見たが、あれは本当に夢だったのだろうか?
禁煙プログラムは全部で90日に及ぶ。まだ4分の1も終わっていないのか。悪夢は続く。

有楽町で映画「George Harrison:Living in the material world」を見た。
3時間半に及ぶ大作。こんなものはよほどのビートルマニアでない限り見には行かないだろうと思い、
開演ギリギリに映画館に入ったのだが、
蓋を開けてみたら300人くらいのキャパの会場で9分の入り。
全席予約制で、オレの好きな前の方の席がすでに埋まっていたのは不覚だった。
また、これは多少予想はしていたことだが、年齢層がすごく高い。
下手すりゃオレが最年少くらいな感じで、平均60歳くらいと推測する。
こういう映画はリアルタイムでビートルズを見た世代よりも、
むしろ後追いの世代、特にそのリアルタイムで見た世代を親に持つ
オレと同じくらいの年齢の人間が一番見に行くものだと思い込んでいた(根拠無し)ので、
少し意外ではあった。
あと、ついでに余談だが、
チケットも予定よりも高くて、2,500円也。
まあ、3時間半もあるのだから文句はないが、
3,000円しか財布になかったオレには冷や汗もんだった。
さて、映画の感想であるが、個人的な理由もあり、実に複雑な余韻を見終わったときには持っていたと言わねばならない。どのように複雑であったかーー
この映画は明確に「ジョージの音楽を堪能させたい」という意図の基に製作されたものだとわかるくらい、
音の素晴らしさが際立っていた。その点では是が非でも映画館でみなければならない映画なのだが、
一方で、途中10分間の休憩があったとはいえ、3時間半座り続けるというのは
思った以上に足やケツにくるもので、終了後、足を引きずり気味に出口に向かっていた中年の女性が
「飛行機から降りた後みたい」と言っているのを耳にしたが、これはまさに言いえて妙であった。
特にオレは途中休憩の10分間、立ち上がることを怠り、席に座って本を読んでいたものだから、
パート2が始まってそれほど経たないうちに、左ケツが痛み出し、それからは
ずっと下半身をモゾモゾさせながらの鑑賞となった。
まあ、聞けば映画館で公開しているのは日本だけだそうだから、
そもそも監督のスコセッシは日本人のケツの具合までは考慮に入れていなかったのだろう。
しかし、それにしても3時間半は映画館向きの尺ではない。
そういうわけで、正直なところ映画の音の素晴らしさに感動し、休日の大切な3時間半を費やして見た甲斐を噛み締めながらも、一方では早く終わってくれ、と心の片隅で願っていたことを告白する。複雑な余韻と言ったのは、こういうことである。

しかし、このような個人的な些事(でもないが)を除き、この映画そのものについて冷静に振り返り評価してみると、なかなかな内容であったと断言できる。
この映画によって、ジョージの知られざる一面を知れるわけではない。
また、ジョージをより好きになるかといえば、そういうわけでもない。
圧倒的な音と見事な編集によって、オレの知っているジョージ・ハリスンという男がそのまま描かれていく。
ここにスコセッシのドキュメンタリー監督としての卓説した手腕と、ベタな言い方になるが、対象への愛が感じられた。 ジョージの妻のオリビア・ハリスンも製作に加わっていることからしても、この映画はジョージの公式伝記映画という位置づけになるのであろうが、それを作れるのはやはりスコセッシだけだと思う。マニアックなものを作れる監督は他にいそうだけど。
願わくば、レノンあるいは、ディランとの関係性について、もう少し踏み込んだ内容を入れてほしかった、
レノンはともかくもディランのインタビューは少し欲しかった、スコセッシとディランは知らぬ間柄じゃないんだから……、という思いはあるのだが、それは贅沢過ぎるというものか。
文春的にいって、4.5点。

ああ、しかし頭が働かん。言葉が出てこない。これもチャンピックスのせいかな。

11月1日の日記

2011年11月1日
個人史のなかで、これまでも時折嵐のようにやってきてはすぐに去っていった健康ブーム。
今、その真っ只中にいるオレは
筋トレ、走りこみ、食事制限など、徹底したたゆまぬ自己管理により
たるみきった体を引き締めることに成功した。
173センチ、60キロ。
目標としては、体脂肪を落として筋肉だけであと4キロ体重を増やすことだ。
まだまだ先は長い。
頑張るぞ!

さて、そんななかで今週の土曜より一大プロジェクトが始動する。
禁煙である。

禁煙挑戦歴では、おそらくオレはベテランの部類に入るのではないだろうか。
これまで幾度となく挑戦をしては、
その高い壁に簡単に跳ね返されてきた。
禁煙ガム、パッチ、本、電子タバコ、、、それ以外にもいろいろ試みたがすべて2日ともたなかった。
振り返れば、こんなこともした。
この禁煙法を思いついたのは、たしか数年前の12月の暮れの頃だったはずだ。
一日20本一箱吸うとする。
一箱300円(当時)。
月およそ1万円。
年間でみると12万円。
無駄な金だ。来年こそは絶対にタバコをやめよう。
そういうことを真剣に考えていたちょうどその頃のある日、
スマトラ島沖で大津波が発生し、それによる大惨事の模様をテレビで目にした。
こりゃ、すごいことになった。有史以来の大災害になるんじゃないか、、、
そんなことをテレビ画面を漠然と眺めながら思っていたとき、
オレのなかに一つのインスピレーションが沸き起こり、
スマトラ島とオレの禁煙願望がリンクした。
そうだ、来年分のタバコ代12万円を先にスマトラ島に寄付して使ってしまえばいい。
そうすれば吸いたくても吸えなくなるではないか!
禁煙もできれば、スマトラ島の人のためにもなる。
一石二鳥だ!オレは天才か!
オレはそれから、テレビ画面に映し出された募金口座の番号をメモり、
急いで銀行に向かったのであった。
今、このときの一連の行動は、
オレの個人史のなかでは純粋な寄付行為として記録され、
数少ない美談の一つとなっている。

土曜から始まるプロジェクトがこれまでと違うのは、
今まであえて近寄らないようにしていた、
お医者様の存在がとうとうプロジェクトの根幹に関係してくることだ。
今週土曜日に近所の内科医院に禁煙外来にいくことになった。
オレの知らないうちに勝手に予約をされていたのだ。
今度こそ本当にやめられるのではないか。
そういう期待は確かにもってしまう。
オレ自身では絶対に医者に予約をいれることなどしない。
予約してくれてありがとう。
そういう思いは確かにある。
しかし、それと同時に中学生の頃から頑張って作ってきた
ニコチン耐性に優れたこの体を捨てることも
今更ながら少し惜しいような気がしてきているのも、また事実。
このような相反する気持ちに板ばさみになり、
また、ありがたいと思いつつも、
勝手に予約を入れられたことへの抗議の意思表示は
取り急ぎしておくべきかと思い、
今週はいつもの3倍のタバコを吸うことに決めた。
会社内には喫煙所がなく、歩いて2分くらいの距離にある公園まで
わざわざ遠征しなければならない。
3倍タバコを吸うことは仕事の生産性を1/3にしている。
それにいくらニコチン耐性を持った優れた体とはいえ、
3倍吸うとさすがにこたえる。
しかし、これもあと3日間の辛抱だ。
頑張るぞ!

10月18日の日記

2011年10月18日
カメラマンのGさんがアメリカから帰国したらしく、
昨日、突然小洒落た居酒屋に呼び出された。

居酒屋に着くなり、再会の堅い握手。アメリカ仕込の歓迎。
「何年ぶりですかね?」と、オレはきいた。手は握られたままである。
「ワールドカップの日韓大会が終わってすぐに飛び立ったから、もう10年近いんじゃないか」
「へえ、そんなになりますかあ」
手は自然と解かれていた。
オレはGさんの正面の席に座り、生ビールを注文した。
「まだ書いてるの?」正面に向き合うなり、Gさんは単刀直入にオレの一番訊かれたくないことを訊いてきた。
「いや、もう全然。ほら、これ」といってオレは名刺を差し出した。「このとおり、サラリーマンやってます」
「へえ、オマエがサラリーマンになるとはね・・・」
「まあ、いつまでやってるか分からないですけどね、最近飽きてきたし。そうそう、人並みにブログなんかはやってますよ」
「ところでさあ」と、Gさんは話を切った。おそらく今オレが何をやっていようが本当は興味がないのだろう。
「アメリカに飛び立つ前にオマエに預けたアレなんだけど」
「ええ?」
「あのサッカーボール」
「ああ、、、」と言いながら、オレは記憶の糸を手繰りながら、はっとした。

あれはくれたんじゃなかったのか!?


、、、日韓ワールドカップの余韻が覚めやらぬ頃、
オレはなにかの用事でGさんの事務所を訪れた。
このとき、すでにアメリカに飛び立つことは聞いていたはずなので
送別の挨拶を兼ねて訪問していたのかもしれないが、
この辺りの記憶はあまり定かではない。
ただこのときのことで憶えているのは、
直前までGさんが取材で全国を駆け回っていた
ワールドカップについての熱病的な土産話を長々と聞かされたことである。
サッカーに興味のないオレは、途中から辟易したものだが、
この取材行脚により世界に開眼したというGさんの熱弁は
そんなオレをよそに、一向に納まる様子はなかった。
そんな流れのなかであったと思う。
Gさんがオレに一個のサッカーボールを差し出した。
見るとその表面には沢山のサインの寄せ書きがしてある。
ブラジルだか、イタリアだか忘れたが、確かどこかの国の代表チームの寄せ書きだったはずだ。
サッカーファンにとっては垂涎の的かもしれないが、
オレにとっては、力士の化粧回しと同様に
「あげる」と言われても邪魔なので辞退を申し出たくなるものであった。
しかし、それがどういう経緯でそうなったか思い出すことはできない。
Gさんの事務所を出るときには、
袋にも入れず、そのままの丸いボールの状態でオレの脇に抱えられていたのだ。
さて、それからGさんの事務所を出てからである。
長話に付き合わされたせいで、次の予定までの時間も押していたのだろう、
オレは多少速歩きで最寄の駅に向かっていた。
確か雨も降っていたんじゃなかったか?
いずれにしても、とにかく脇にかかえたサッカーボールは、何度もそこからすべり落ちかけ、
急ぐオレの邪魔をした。
そんなときに、オレは自分の左横に長い壁が続いているのを目にした。
中学校の壁である。
オレはその壁沿いにさしかかり、次のようなことを考えた。
中学校のグランドにサッカーボールが一つ転がっているのは自然なことだ。
おそらく誰も一つ増えていることに気がつかないだろう。
また、オレがサッカーボールを持っているのは宝の持ち腐れというもんで、
中学校にあるほうが有効活用してもらえるに違いない、、、。
この考えは、そのときのオレには実に合理的なものに思えた。
オレは中学校のグランドにサッカーボールを投げ入れることにした。
サッカーボールは壁を越えた。
そして、オレはそこから走り去ったのだった、、、。


「あのサッカーボール、どうした?」Gさんは言った。
「ええ、ああ」オレは言葉に窮した。
「ん?」
「いや、だから」
「え?」
「どっか、まあその」
「まあ、いいや、あれは次オレが日本に戻ってくる10年後までオマエに預けておくよ」
「ああ、そうですか、そうですよね。また10年後ですね。」
「でも、考えてみりゃ、なんでオレはサッカー見てアメリカなんかに行こうと思ったのかね」

9月8日の日記

2011年9月8日
この8月は辛かった。
自分ではどうしても解決できない問題を抱え込んでしまい
まさに進退窮まった。
ケツもちをしてくれるヤクザの知り合いでもいればと、
自分の古い人脈を携帯の電話帳を基に洗いなおしてみたが、
そこに出てくるのはチンピラ、トップ屋、詐欺師、ボンクラぐらいのもので、
こんなヤツラにトラブル解決を頼むわけにはいかない。
オレは本当に困り果てた。
死ぬことも少し考えた。
しかし、そんなときにテレビでオカマの教育評論家が
「負けて勝ちを取りなさい」と言っているのを聞き、
オレは「これだ!」と思った。
オレは徹底的に負けることにした。
そして8月末をもってオレは完膚なきまでに叩きのめされ、完全に敗北した。

さて、昨日のことであるが、
「人差し指をピンと伸ばしてみい」とNさんは言った。
オレは言われたとおり、両手の人差し指をNさんに向けた。
「ほら、プルプル震えるやろ。それは肝臓がいかれてる証拠や。オマエは真性アル中や」
言われるまでもなく、確かにこの8月はよく飲んだ。
しかし、それ以前からも毎日飲んでいたので、
自分がアル中だという自覚はなかった。
しかし、言われてみればそうかもしれないという気になった。
オレはそのとき、元新左翼の活動家が言った言葉を思い出していた。
「活動家がみんな早死にするのは酒のせいだね。タバコで死んだってのは聞いたことないけど、
みんな酒に殺られるんだ」
追い込まれるとみんな酒を飲む。
体に悪いのはわかっているが、飲まないと体の前に精神がやられてしまう。
だから飲まずにはいられない。
オレもそういう理由で飲み続けた。
しかし、敗北者であるオレにはもうなんのストレスもない。
ボケてしまいそうになるくらい今のオレは幸せなのだ。
だから、昨日酒を断とうと思った。
が、やはり無理であった。
寝酒にウイスキーを少し飲んでしまった。
今日は今のところ飲まずにいる。
多分今夜は眠れないのだろう。
悪くない。

8月14日の日記

2011年8月14日
仕事中にふと、
自分の顔を鏡や写真などを介在さず
自分の眼で直接見ることができないという事実が不思議になり、
何とかならないものかと、いろいろ案をめぐらせ、
眼をウロウロさせてみたが、
やはりどうやってもうまくいかない。
眼球は自分の顔を直接見るためには出来ていないようで、
眼球を動かすだけで見えるのは、個人差はあるのかもしれないが、
オレの場合は、せいぜい頬と鼻筋の一部くらいなものである。
いや、それとて見えるというには心もとなく、
「視野の端っこに入っている」といったほうが正確のような気がする。
唇をタコチュー状態にして突き出し、眼球を下に向けると、
わりとはっきり口元が見えることに気がついた。が、
それをやっているときの自分の顔を見ることはやはりできないが、
想像してみると、実におぞましく、
仕事場で長時間できる顔ではない。
そもそも本来の目的は、自分の顔全体を見ることであって、
顔の一つ一つのパーツを見ることではないのだから、
口をタコチュー状態にして、見えた! と喜んだところで
何の解決にもならないのであった。
まあ、そんなわけで、
この人間の限界に挑むに等しい無謀な挑戦を諦め、
仕事を再開しようと思い、前を見つめたのだが、
そのとき、今まで頭のなかで抑制をしていたであろう言葉が
不意に脳裏をかすめ、
オレはそこに一縷の希望を感じてしまった。
幽体離脱。
そうだ、幽体離脱して自分の顔を見ればいいではないか。
そう気づいたオレは早速、幽体離脱する方法をネットで検索し始めた。
「幽体離脱入門」なるバッチリなサイトを発見!
しかし、、、である。
それに目をとおしているうちに、
これはこれで、自分の顔を見るのは不可能であるということに気づかされた。
幽体離脱すると、幽体離脱された自分の顔は確かに見れるのかもしれない。
しかし、幽体離脱した当の本人の顔は自分の顔を見ることができない。
当の本人の顔を見ようと幽体離脱した自分は、今度は幽体離脱されて自分の顔を見ようとする。こんな感じでは、幽体離脱を無限に繰り返すことになり、
やはり自分の顔を見ることは到底出来そうにないではないか。

やはり無理だ。諦めた。
とうとう仕事を再開した。


テクノロジーが発展し、他人の眼から見た光景が
自分の脳のなかで、実際に自分が眼で見ているのとまったく同じ感じで像を結ぶような技術ができたら、
オレの目的は達成されるのかもしれない。
眼をつぶっていても、夢でははっきりといろいろなものを見ることができるのだから、
満更こういった技術も不可能ではないような気がする。
しかし、そんな技術ができたところで、
オレは自分で試してみようなんて気を起こすことはないだろう。
今以上のテクノロジーの発展をオレは望んでいないし、
だいたい、オレは自分の顔がそんなに好きではないのだから、
そこまでして見ようとはしないだろう。

7月4日の日記

2011年7月4日
先週は毎日飲みにつき合わされ、
気がつけば、Oさんから返却された現金10万円もたちまちのうちに
ビールの泡と消え、ここで宣言した
新しいノートパソコンを買うという計画は完全に頓挫した。
節電が叫ばれるこのご時勢に、
電熱器の如きノートパソコンで内容のないブログを綴るのは
エアコンをガンガンに効かせる以上に反社会的行為であるのかもしれない。
涼しさを求めて電気を消費するならまだ分かるが、こちらは電気を消費すればするほど暑くなる。
これは、やはり犯罪的である。
であれば、家に帰ってブログを書こうなどという気を起こさないためにも、
毎日出来るだけ、酔いつぶれてから家に帰る必要があるのだが、
今日は久しぶりにまっすぐ帰ってきてしまったものだから、
やはりこのように書き始めてしまっている。
困ったものだ。
困ったものだと感じるのは、オレは酒飲みではあるが、
大人数で飲むのが好きではない、というか苦手なことに関係している。
4人くらいまでなら、他の3人を楽しませてやろうと
自ら盛り上げ役を買って出るのだが、
それ以上になると、ほとんどしゃべらなくなる。
しゃべらないだけならまだいいが、ときには
みんなが盛り上がっているなか、
一人露悪的に全然つまらなそうな顔をしてやったりもする。
耳があまりよくないことも関係している。
本当にオレの耳は悪く、いろんな方向から発言されるとほとんど日本語として聞き取ることが出来ないのも事実である。
しかし、そんなことは言い訳に過ぎない。
問題なのはオレの幼稚な精神にある。
オレはどうも5人以上での飲み会となると、
そこで話される内容が嘘っぽいものに思えてしまい、
そんなものに巻き込まれたくないという、変にサリンジャーっぽいというか、
いわば、子供じみた気持ちになってしまうようなのだ。
こういった性質は普通若い頃に克服しているものなのだろうが、
いい歳して未だに克服できていないのは明らかに、オレの欠点であるという自覚はある。
しかし、 自覚しながらもいつまでたっても直らないので、
そういう面倒くさい自分とうまく折り合いをつけて 生きていくしかないとも思っている。
オレはオレにとってすごく面倒くさい存在なのだ。
本当に面倒くさい。そういう自分自身に対して、悩んだりすることはないが、
飲み会の次の日などは妙にウジウジしたくなることもある。
ウジウジしないにしても、ウジウジしないぞと考えている自分はかなり面倒くさいのだと思ったりする。
そういう訳で、大人数での飲み会は
必要最小限の参加にとどめようと考えているが、
様々な事情から参加せざるを得ないこともあり、
先週はそれが続いたので、今は当分まっすぐ家に帰りたい思いでいる。
困ったものだというのはそういうことで、本当に困っている。

人生は辛い。

6月23日の日記

2011年6月23日
こんなことを繰り返し書いても仕方ないが、
パソコンのオーバーヒートが一段と激しくなり、
数十分程度で、例の切ない音を上げて電源が落ちてしまう。
気温が上昇したためか、もはや扇風機ではほとんど効き目はなく、
今は実験的にアイスノンを下に敷いてこの文章を書いているが、
これとて本当に効果的なのかどうかという保証はなく、
いつ落ちてもおかしくない。
まあ、そんなにたいしたことを書いているわけではないので、
落ちたら落ちたで別にそれでもいいのだが、
そんなことなら、何も書かないでおこうと考える方が普通のようにも思えるし、
これからも書きたいと思うのであれば、こんなポンコツ機器にはさっさと見切りをつけて、
新しいのに買い換えた方がいいような気にもなってきた。
そんな気になってきたのには、明日が給料日であることも関係している。
いや、オレの安月給だけならそんな気は起こらないが、
今月は、左隣のOさんというおっさんに貸していた10万円が同時に戻ってくるのだ、たぶん。
たぶん、というのは、
今日右隣のHさんというおっさんがOさんから5千円借りていている現場に
オレも居合わせており、そのときOさんが気まずそうに
「この前借りた金は明日返すから」とオレに言ったからである。
もともと、返ってくるとは思っていなかった金に対して、
借りた本人から明日返すという言質を拾えたので、
これはほんとに明日返してもらえるのだろうと思う、たぶん。
そうそう――
話が逸れてしまうのだが、このとき、HさんがOさんに言ったオベンチャラは
Hさんの観察眼の鋭さを示すものであり大いに感銘を受けたので忘れぬうちに記しておこう。
HさんはOさんの5千円札を自分の財布にしまいながらこう言った。
「Oちゃんは、AKBの1位の子と似てるよね。名前なんだっけ? よく言われるんじゃない?」
目からうろことはこういうことを言うのだろう。
言われてみれば確かに似ている!
しかし、かたや当今ナンバー1のアイドルに対して、こちらは薄汚れたおっさんだ。
こういう場合、大概の人間の目は節穴になる。
しかし、Hさんの目はそうはならず、
それに気づいて、しかもサラリとその事実を言ってのけたのだ。
オレはその瞬間Hさんを見直した。
一方、「グフフ」とほくそ笑んで
満更でもない顔付きをしているOさんを、オレはそのとき目にしたのであった。

ほんとにOさんから10万円を返してもらえたら、
土曜日に近所の家電量販店に行って新しいパソコンを買うことにしよう。
ということで、このおんぼろノートで日記を書くのもこれが最後ということになるはずだ、たぶん。

アイスノン意外と効くな。

6月20日の日記

2011年6月20日
相変わらずウチのノートパソコンは
自ら突然電源を落とす癖が直らず、
昨日も計4回勝手にシャットダウンした。
おかげでこちらは、この日記のために同じ内容の文章を4回も書くはめになったが、
いずれの回も書いている途中で落ちてしまったために、
ここでの発表には至らず、
ただ時間と労力を無駄にすることになっている。
この日の午前中には、潮干狩りに行った。
その思い出を楽しく、かつ美しくここに書き記そうとしていたのに、
儚い夢の如く、それらは4度にわたりコンピュータ回路の彼方へ消えていった。
今日もまた途中で落ちるつもりか?
まあいい、落ちるなら勝手に落ちろ、
急いで書いていこう、乱文悪しからずである。

内蔵の冷却装置がフル稼働で自らのクールダウンに努めるが、
それでまた熱を発する。
ウチワで扇ぐことにより、逆にそれが運動になって
汗をかいてしまうようなものだ。
いくら10年オチとはいえ、シャープ製のパソコンであるから、
実際にはそんな自家撞着してしまうようなプログラミングをしているはずはないのかもしれないが、
それから聞こえてくる異様な音や、吐き出される熱風に触れると、
どうしてもそんなことを想像してしまう。
自力で自分を冷やそうとすればするほど、逆に熱くなるのであれば、
外から別の力で冷やしてやるしかない。
オレはそう思い、ノートパソコンの熱風の排出口めがけ、
至近距離から扇風機で風を送ってみることにした。
これは予想外にかなり効果があった。
ここのところでは最長の持続時間を記録したし、
心なしか、パソコンの処理速度も幾分か上がったようにも思えた。
しかし、これはこれでパソコンで日記を書くオレにとって
快適なものとは言い難かった。
節電が叫ばれるこのご時勢と、
イソウロウという自分の置かれた身分もオレの気持ちに作用したのかもしれない。
扇風機の羽の回転音がなんとも耳障りなものに聞こえたし、
至近距離から手元だけにかかる扇風機からの風には、
いつまでたっても全然慣れることができず、
キーボードを打つ指の動きを妨げているように感じた。
しかし、そんな状態でもなんとか頑張って書き進め、
もうすぐ、潮干狩り編も感動のフィナーレを迎えようという段階まできた。

アスファルトを踏みなれたオレの足の裏には、
ちょっと前まで海底であったドロドロの砂地が優しく感じる。
裸で泥まみれの子ども達が、オレの横を無邪気に走り去る。
ずっとここに居たい…

正確に再現できているかどうかは覚束ないが、
こんな感じの妙に安っぽいセンチメンタルな調子の日記になっていた。
これはよくないぞ、と自分に言い聞かせたが、
もう文章の流れを戻すことはできそうにない。
まあ、たまにはこういうのもいいか。
オレはそんなことを考えながら書き進めていたが、
また、その一方でまったく別の考えも頭をよぎっていた。

ここまで持続したのだから、もう勝手に落ちることもあるまい。
もう大丈夫だ、、、

オレは扇風機の電源を切った。
するとほぼ同時に、「プシュー」といって、パソコンの電源が落ちた。
「クーン」の方が近かったかもしれないが、まあ、この際そんなことはどうでもいい。
どちらにしても切なく、空しい響きがその場に残った。
それが昨日の4回目であった。
オレはしばらく、パソコンのただ黒いだけの画面を呆然と見つめていた。
そして、そのとき気がつけば、
部屋のなかにはいい匂いが立ち込めている。
アルジがアサリの酒蒸しを作っているようだった。
4キロ分も取ってきたのだから、
これから当分の間は、アサリ三昧となるんだろうな。
「このパソコン、さすがにもう寿命かもしれんな」オレは言った。「
そろそろ買い替えよか」
ノートパソコンをテーブルから持ち上げた。
そして、テーブルクロスが熱で溶けかけているのに気づいて少し驚いた。

6月14日の日記

2011年6月13日
Oさんとは、
オレの左隣の席で、いつも黙々とブログを書いている45歳・独身男のことであり、
このブログでも2度ほどご登場いただいたているのでここで詳しくは書かないが、
基本的に寡黙なおっさんなので、隣にいることでそれほど害を被ることはない。
一方で、右隣りにはHさんというまた別のおっさんがいる。
このおっさんに人間的な魅力があることは認める。
が、 その人間性故に、様々な被害に合わされてきたこともまた事実である。
この人に飲みに誘われたときには、ただで帰ることはできない。
決まって朝までコースになる。
しかし、それだけならまだいい。
問題は、Hさんの金銭感覚にある。
普段から借金まみれのオノレを呪うようなことをオレに訴えているくせして、
飲みに行くとなると、決まって社長や芸能人が通うような高級な店ばかりを選び、
そこでおっさん二人では食べきれないくらいいろいろなものをジャンジャンと注文していく。
もちろん、それでオゴリであれば感謝こそすれ文句は言わない。
しかし、その当たりは少ししっかりしていて、
お会計のその場では、自分のカードでオレの分を含めた飲食代すべてを支払い、かっこよく店を後にするのだが、後日メールで請求してくる。
一緒に飲みにいくようになった当初は、年長者としての気遣いからか、
7:3くらいの割合で多めに払い、オレへの請求額を抑えていてくれていたが、
回を重ねるうちに、その辺りの気遣いがなくなってきた。
そして、ここのところは、ほぼ割り勘通りの請求が来る。
食い物にそれほど興味のないオレからしたら、これは迷惑以外の何者でもない。
だから、先週の金曜の夜11時くらいに、
「焼肉を食いにいきたい」と言い出したときには、
どう断るかいろいろと考えを頭のなかにめぐらせることとなった。
左隣のOさんは遠の昔に帰っている。Oさんに振ることはできない。
先約があるというのが一番当たり障りのない断りのように思えたが、
もう11時を過ぎた今から、先約があるというのは、
いかにも嘘っぽく聞こえるに違いない。
では、体調が良くないなどといえばどうか。
それも少し考えたが、体調を理由に断るというのは、
本当に40度近い熱があるとかなら別だが、どうもオレの性には合っていないようなのだ。
少なくとも夜の11時まで仕事をやるだけの体力があるなら、
焼肉を食うぐらいはできそうなものだろうとオレは考えてしまう。
よって、体調のせいにするのはひとまずパスとなった。
そういう訳でしばらく、パソコンに向かい仕事をしているフリをしながら、
何かいい断り方がないものかと考えた末に、
オレは確信の持てぬままにこう言ったのだ。
「Hさん、すんまへん。 誘ってもらえるのはホンマ有難い思うてるんでっけど、
実は今日うちのアルジより早よ家に帰らなアキマヘンねん。
なんでか言うたら、今日、家出るときクーラー消すの忘れて出てしもたんですわ。
家出てすぐそれに気づいたんですが、
今日、アルジは飲み会で帰りは終電になるやろ言うてたから、まあ、ええかな、バレへんやろ思て、
この時間まで仕事しとったんですが、
もうそろそろ帰らな、ホンマやばいんですよ。
いつも言うてるように、こんな失態がアルジにばれたら、オレ間違いなく殺されます」
「じゃあ、オマエも終電まで付き合えよ」間髪を入れず、Hさんは言った。そして、
「よし、じゃあ今日は1時間一本勝負だ!」

さて、それから結局いつも通り朝の5時までつき合わされ、
雨のなかタクシーで家に帰り着いたときには、すでに辺りは明るくなっていた。

今日、会社に着いて、パソコンを立ち上げると、
すでにHさんからの請求メールは届いていた。

【清算結果】
H:3万6400円
くび:3万5000円
【内訳】
1件目合計:5万2800円
H:2万7000円
くび:2万5800円
2件目合計:1万8600円
H:9400円
くび:9200円

Hさんは隣にいながら、このメールについて何も言わず、
パソコン画面に向かって淡々と仕事をしている。
オレは「ちょっと銀行行ってきますわ」と言って席を立った。
そのとき、
左隣りから、オレを呼び止める声がした。
「先週もお願いしたけど…」Oさんが言った。顔にはどこか悲壮感が漂う。
「なんでしたっけ?」オレは言った。
「…悪いけど、やっぱり10万円貸してくれるかな」
ああ、そういえば、そんな話あったな、確かに先週、ボソボソそんなことを言ってたっけ、とオレは思った。
いったい、こんなオッサンが何に10万円も使うのだろう?
それに、まあ、いい歳して。
これこそ本物のダメ人間だな。こういう歳の取り方は絶対してはいけない、、、
「ええですよ、ほな、これからおろしてきますわ」
オレは言った。そして、銀行へと向かったのだった。

6月13日の日記

2011年6月13日
もう少し涼しい頃ならよかったのだがこう暑くなると、
家に帰って、ノートパソコンを開けるのが嫌になってくる。
ウチのノートパソコンは異常に熱を発する。
誇張抜きでキーボードを打っているだけで全身が汗だくになる。
部屋の温度も2,3度くらい上げているのではなかろうか。
おまけに、このパソコンはカフカの「橋」という短編小説を思い出させることを時々仕出かす。
自らの重さに耐えかねて、勝手に崩壊する橋。
自らの熱さに耐えかねて、勝手に電源が落ちるパソコン。
両方ともまさに不条理だ。
オレはその不条理を何度味わったことであろう。
まあ、そんなわけで、
暑い季節の間は、このブログもめったに書かないつもりだし、
書いても短いものにしたいと思っている。ああ、暑い。

本当に暑い。手短に書こう。
以下、備忘録。
昨日、「さや侍」鑑賞。
内容について具体的なことは申すまい。
この映画、起承転結でいえば「承」から話が始まっている。
これは短編小説ではよく使われる手法であり、
つまり、その場合「起」とはその話の主人公なりの過去の人生のこととなる。
「承」から始めるとはどういうことか。
その場合、その本来「起」であるべき内容は話のなかでは暗黙のものであり、
直接語るのではないが、実は話の要であるために話の全体をとおして、浮き出させていくことが必要となる。
それをやって、初めて「結」が納得もいき、感動をも生むものになるのだが、
この映画では、このような暗黙の「起」への配慮がまったく足りていないとは言わないが、少なくとも、話の展開に有効になるようなことはやっていない。
これは明らかにこの映画の欠点であると思う。
しかし、そういったストーリー展開の構造上の欠点をカバーするだけの、監督の思い入れの熱さを感じたのも事実であり、正直感動したし、余韻のようなものを未だに引きずっているのも事実である。
しかし、だから同時に惜しいとも言いたくなる。
松本人志さんの映画はこれまで発表された2本とも映画館で見たが、
デビュー作の「大日本人」はまったく評価できなかった。
俗っぽい言い方になるが、「守りに入っている」印象を受けただけで、これでは駄目だと思った。文春的に言えば、2点である。もっとも最近海外で評価されていると聞いて、
見直している部分もあるのだが。
2作目の「しんぼる」は、周りの低評価にもかかわらず、実は個人的には嫌いではなかった。
「大日本人」で失望していたオレからすれば、予想をはるかに上回る出来だった。
ただ、この作品を見て、ストーリーテラーとしては、それほど才能がないのかもしれないとも思った。バラエティ同様、アイデア一発勝負で作った作品のようにも感じてしまったのだ。
しかし、それでも楽しめた。笑いがベタだと批判されていたが、個人的には「さや侍」を含めて一番笑えた映画であった。文春的に言えば、他人にあまり勧める気になれないことがマイナスとなり、3点か。
「大日本人」、「しんぼる」と比べて、「さや侍」は一番映画らしい映画であることは誰もが認めることであろう。
「しんぼる」を見て、ストーリーテラーとしてそれほど才能はないと感じたが、
この映画を見ても、その思いはやはり残る。
しかし、「大日本人」のように「守りに入った」作品という印象は受けない。
むしろ、この作品は攻めている。
文春的に言えば、3点としたい。

6月3日の日記

2011年6月3日
6月3日の日記
会社の真下には古本屋がある。
というか、周りは古本屋ばかりである。
つまり、オレの今勤めている会社は神保町にあるのだが、
真下にある古本屋は前から気になる存在でありながら、
なかなか足を踏み入れることができずにいた。
古本屋に入るとどうしても長居したくなる。
読んだことがないのはもちろんのこと、
見たことも聞いたこともない本が大量にそこにあるのだから、
時間がいくらあっても足りないというものだ。
しかし、会社からあまりに近いため、
どうも落ち着いて、じっくりと立ち読みすることができそうにない。
サボって古本選びをしているところを同僚の誰かに見られたくないからだ。
そういうわけで、その店に足を踏み入れたのは一度だけしかなく、
そのときも買ったのも古本ではなく店先でやっていた、
「世界の木の実フェア」に並べられていた、巨大松ぼっくりなのであった。
このときは、その前を通ったときに、売り子をやっていたニイサンが

「さあ、週末の夜に世界の木の実はいかがですかー、カロリーゼロ、食べられません!」

と言っているのを耳にし、思わず足を留めてしまったのであった。
後にこの松ぼっくりは、「変なものを家に持ち込むな!」と、アルジにベランダに
追いやられる運命をたどるのである。
しかし、その店で買ったのはそれだけで、古本は一冊も買っていなかった。
古本を買うには場所が悪すぎるのだ。
しかし、気になるものは気になる。
そこで、会社のパソコンでこっそりと、
その古本屋のホームページを見るようになっていた。
そのホームページは店主のブログ中心に構成されており、さすがは古本屋を運営する人間だけあり、なかなか文才も感じられ、内容的にも読み応えがあった。
で、いつの間にやら、そのブログが気に入ってしまい、
ここのところは、週に2、3回はそのページを開くこととなっていた。
さて、今日、その古本屋のホームページを開いたところ、
そこにアップされていた画像がオレの目を引いた。
色取り取りのヘルメットのイラストが並ぶ表2見開き(出版業界用語か?表紙の裏とその対向面のこと)。
なんてかわいいんだ!
オレはそれから、今まで足を踏み入れることをためらっていたことなど
すっかり忘れ、古本屋の店頭に向かった。

店頭には店主はおらず、
店主の奥さんと思しき女性が一人いた。
「いらっしゃいませ」と女性は言った。
「ええと」とオレは言った。「あのホームページに出てたヘルメットのやつまだありまっか?」
「ああ、はいはい」と女性はレジの辺りにあった棚からその本を取り出した。『増補改定‘70年版 全学連各派』と表紙に書いてある。
「でも、この本売り物にならないんですよね」
「ええ、なんで?」
「いや、中で抜けてるページがあって……」
「さよでっか。まあ、そんなんかめへんですわ。ちょっと見せてもろてもええでっか?」
「いいですよ」と言って、女性はその本をオレに手渡した。
表紙を開く。表2見開きには、ホームページで見た画像があった。
やっぱりかわいい!
「これナンボくらいでゆずってもらえまんの?」オレは訊ねた。
「う~ん」と女性「たとえば、千円とかでどうですかね?」
「へえ」とオレは弱腰な態度の女性にたいして、余裕のつぶやきをつぶやき、それからページをパラパラとめくった。戦後全学連小史、全学連セクト別実態、学生運動人名録、学生運動用語集、付録:全学連関係組織図……
「ああ、こういう内容の本か、まあ、知らんことはナンも書いてへんなあ、これって図書館かなんかからもろてきたんでっか?」
「はい、払い下げられたヤツです」
ああ、確かに奥付のページに「日本社会党資料室蔵書」と判子が押してあるな。
「お客さんみたいな若い方でも、結構そういうの好きな方っていらっしゃいますよね」
「そんなもんおるかいな。おれへん、おれへん」とオレは手振りを交えて言ったが、ここが古本の街であることを思い出したので、「まあ、でも、この界隈やったらそういう変なヤツもおるんかなあ」と続けて言った。
ところで、ここで断っておくが、オレは学生運動の活動家であったわけではないし、新左翼にシンパシーを感じているわけでもない(感じる部分もないではないが)。オレには基本的に政治信条など何もない。では何故、全学連や全共闘というものに興味を持ってしまうかというと、むしろオレにはよく彼らのことが理解できないからである。オレよりずっとインテリで賢いはずの人間が何故、あのような考え方に至り、また行動したのか。
「で」とオレは言った。
「ホンマに千円でええんでっか?」
「ああ、いいですよ」
「ほんなら」とオレは財布から千円札を取り出した。そして、それを女性に渡して、店を出て会社に戻った。

画像を見てください。
かわいいでしょ。
嬉々としてデジカメで写真を撮っていたオレを見て、アルジはかなりご立腹の様子だった。
また変なものを持ち込んで、と思っていたのだろう。

6月1日の日記

2011年5月31日
ああ、ええと、、、
やっぱり書くことなんか何もないな。
今日は早く帰ってきたので、こういうときには酒の力を借りず
たまには何かまともなことでも一つ書いてみようと思ったのだが、
書くことなど何一つとして思い浮かばない。
今日一日を振り返ってみる。
「ビロウな話で恐縮ですが……」から2時間にわたり延々語られた、
広告代理店H勤務のNさんの壮絶極まる糞尿譚を思い出す。
それを上手く書いて、ここで披露するというのはどうか、、、?
いや、それは無理だな。
オレでは明らかに力不足だ。
Nさんの口から語られた壮大な悲劇を、
書き言葉で再現する才などオレにはない。
、、、しかし、今書いてみて改めて感じたが、
「ビロウ」という日本語もナンだな。
こんな形容動詞(名詞か?)、一体どれだけの人が必要としているのだろう?
少なくともオレは一度もこんな言葉使ったことないぞ。
漢字が分からないのでカタカナで「ビロウ」と書いてみたとき、
なんとも隠微なその感じから、そういう思いが頭をよぎった。
しかし、ネットで調べてみて「ビロウ」とは漢字で「尾籠」と書くと知り、
少し印象も変わった。
考えてみれば、
真面目な席でシモ関係の話をしなければならないときなどに、
枕詞としてスッと差し込めば、語り手としての品位が保たれるものかもしれない。
こんなことを書くと若い方々は、
「そもそも真面目な席でシモ関係の話はしないだろうが!」
とツッコミを入れたくなるのかもしれませんが、
そんなことはけっしてありません。
いずれ分かるかと思いますが、ある程度歳を食えば場所や相手を選ばず、
そんな話ばかりするようになるのです。
まあ、そう考えると「ビロウ=尾籠」という言葉のニーズも意外と高く、
若いうちに使いこなせるようになっていれば、かなりカッコいいのだと思う。
さっきもいったが、残念ながらオレは一度も使ったことがない。

、、、ああ、しかし、やはり書くことなど何もないな。
書くことがある人というのは、概して悩んでいる人だと思う。
皆さんおおいに悩んでいらっしゃる。
オレの場合それほど幸せでもないし、客観的にみて
自分が悩むべき状況にあるという自覚はある。
2週間先に予定を入れると、
それまでオレは生きているのだろうか、、、と本気で考えてしまうし、
朝は概して悪夢に起こされる。
しかし、散々苦しむには苦しむがどうも悩むことは苦手で、
悩みそうになると自分以外の何者かが憑依してしまう体質のようなのだ。
これまでにもいろいろな人間がオレに憑依した。
一例を挙げると、
横山やすし、田岡一雄、ジョン・レノン、阿Q、戦意喪失癖のつく前のボブ・サップ、エドはるみ、パタリロ、柄谷行人、エルビス、村西徹、三島由紀夫、鶏……
昨日もまたそうであった。
出版社の人間に呼び出されて、オレは新橋へと向かった。
悪いのは完全にオレである。言い訳のしようがない。
逃げ場のない状況に、オレは自らを追い込んでいたのだ。
新橋に着いたオレは、これから迎える修羅場に備え、
心を落ち着かせるために、SL広場の喫煙所でタバコを吸っていた。
今度ばかりはホントにヤバイぞ、オレはこれからどうなるんだ……、とそんなことを考えていたとき、背後の宝くじ売り場から、朗々たる歌声が聴こえてきた。

♪~ドリームジャンボーー、宝くじサンオクエーン
♪~ドリームジャンボーー、宝くじサンオクエーン

その瞬間、オレに西田敏行扮するドリームジャンボ大王が乗り移った。

ワレこそは王者のなかの王者也。
カエサルであれナポレオンであれ、ワレの前ではみんなひれ伏す。
ワレこそは美しき野獣にして、狂乱の大魔王、そして
ワレこそは、人類の救世主ドリームジャンボ大王也。

そういうわけで、オレはドリームジャンボ大王になり、
その後の難局をまったくものともせずに乗り切ったのである。
ドリームジャンボ大王からすれば、オレのちっぽけな苦悩など屁でもない。

悩まれている方に「頑張れ」といっても仕方ないと聞く。
それと同じように、オレの悩みへの対処法をここで書いても全然参考にはならないのだと思う。
まあ、やっぱり今日は書くことなど何もないということだな。

5月31日の日記

2011年5月31日
で、まあ、前回の続きで、土曜日に見にいった芝居について少し書きたいと思っているのだが、
そもそも自分が見ていないものについてダラダラ書かれても、
読まされているほうからしては退屈以外のナニモノでもない。
そこで、なるべくこの芝居を見ていない人でも退屈しないように
ある程度想像力を働かせれば、それなりにこの芝居を見たかのように
楽しめるものを書きたいと思っているのだが、
当の芝居がまだ千秋楽前のはずだから、
内容などについてあまり詳しくは語るわけにもいくまい。
前回も書いたとおり、筆がもたらす災いについては歳のせいか、
かなり慎重になっているので、少しでも問題がありそうであれば、
あえて沈黙を貫きたくなる人間なのだ、今のオレは。
しかし、何も語らずここに雑感めいたものを書き連ねても
また誰にも理解できないただの戯言になってしまいそうなので、
ネタバレにならない程度に、少しだけ書かせていただくことをご容赦いただきたい。
以下、本当に簡単にストーリーの概略を記す。

まず、舞台は芸能プロダクションの事務所。
そのプロダクションには、経営者と社員一人、
そしてそこそこ人気のある映画女優が一人所属していたのだが、
その女優が交通事故で謎の死を遂げる。
物語の本筋はその死により、もはや事業意欲を失った経営者の男が事務所を整理しようとしていたところに、ある出版関係の男から、彼女の追悼本の企画が持ち込まれるところから始まる。
追悼本の進展と、女優に関係した人々の追憶と証言をもとに
彼女の人生が、現在の時間のなかで再構築されていく。
彼女はいったい何者だったのか?
また、どうして死んだのか?
、、、すでに、オレの記憶が定かでない部分もあるが、
大体以上のような概要のサスペンスコメディーである。

さて、前回も申し上げたとおり、
オレの観劇歴はとても浅いものなので、
きわめて浅薄で、しかも部分的な見方しかできていないと自覚してはいるが、
そのうえで申し上げれば、
この作品はどうも後味が悪い。
現在と過去が交錯する、いや、もっと正確にいえば、
現在から生成される過去が物語を推進させていく、
プルーストやヴァージニア・ウルフなどを持ち出すまでもなく、
小説技法としては20世紀前半に流行した手法を用いていたように思えたが、
その場合、表現上は過去と現在を行き来し、また、それぞれが混入し合いながらも、
ストーリーのなかでの機軸となる時間は、SF作品でもない限りあくまでも現在にある。
一回性であるはずの過去が現在の時間のなかで再構築されることにより、
現在、または未来をも変えていくというリアリズムにこそ、
時間の流れを直線的に表現しないことの真髄があるのだと思う。
このような点からいって、
土曜日みた作品は、どうも、現在に帰れると期待していたのに、
過去に置いてけぼりにされたような感じが残り、
見終わったときに、非常に後味が悪いものを覚えた。
現在の時間のなかでの過去の再構築が、
未来につながっていないように思えたのだ。
いや、これはどうも抽象的に言い過ぎたな。
簡単にいえば、オレにはオチがどうも腑に落ちなかったということだ。
たぶん、この芝居の脚本家なり演出家は、
オレに指摘されるまでもなく、
意識的に見る側を置いてけぼりにしているのだと思うのだが、
芝居を見慣れていないオレには、
どうもその意図しているところが理解できなかった。
オレなら、蛇足になる危険性を冒してでも、
もう一歩踏み出したことだろう。
しかし、以上のような後味の悪さを覚えた一方で、
また違った感慨に浸っている自分が、見終えたときにいたのも事実であった。
思えば、芝居を見終えたとき、オレは独特なメランコリーのなかにいる自分がいるのを知っていた。
あれは何だったのか―
今思うに、この芝居の全体を覆うトーンに
「彼女はもうこの世にいないんだ……」という、絶望的なリリシズムがそこにはあったのだと思う。
そう考えると、
この芝居はこの後味の悪さを含めて、やはりこれ以外にないものだったようにも思えてくる。
すべて意図的に組み立てられたものなのだろうか?
アルジの友人を通じて、今度この辺りについてじっくり訊いてみるか。

で、下北で芝居を見た後お好み焼きを食べて、雨のなか家に帰り、
帰ってから、パソコンでこのブログページを開いて、
何やら書き出したのが前回のブログであり、日時でいえば、
5月28日土曜日の夜、いや正確にいえば、5月29日の午前であった。

翌日、目が覚めるともう午前11時くらいであった。
目が覚めてから、学生運動史マニアであるオレは「マイバックページ」なる
連合赤軍をモデルにしたらしい映画が昨日から上演されていることを知り、
アルジと一緒にいくつもりでいたのだが、雨があまりに激しかったので、
駅に着く前に挫折、結局、近所のカラオケ屋に行にいくこととなった。
カラオケも最近は進化したもので単に歌って楽しむだけでなく、
歌うことにゲーム性を添えている。
全国の通信カラオケをオンラインで結び、
一曲ごとに歌唱力をランキングしてくれるのだ。
負けず嫌いなオレは、全国1位を目指して何曲も歌ったが、
ランキングの上位半分に入るのもなかなか大変なものであった。
悪いときには400人中、389番なんてこともあった。
しかし、それでも4曲で全国1位になったのは自慢したい。
以下はその楽曲。

①「ルパン三世のテーマ」(奥田民生)
②「All apologies」(Nirvana)
③「NHKに捧げる歌」(早川義夫)
④「Savoy Truffle」(The Beatles)

以上。
なお、①②は、全国で4人エントリー。③④は、全国でも初エントリーであった。
1位になりたい負けず嫌いな方はぜひ、上記4曲挑戦あれ。

5月29日の日記

2011年5月29日
下北沢で観劇。
演劇については鑑賞歴も浅く、
何か語れるほどの知見もないのだが、
ここ数年くらいは、芝居劇好きのアルジに連れられ、
1ヶ月に1本くらいの割合で見にいくこととなっている。
さて、今唐突にアルジと書いてしまったが、
実を言うと、オレは長らくイソウロウの身であり、
東京都世田谷区に高い税金を納め、また持ち家もありながら、
一年のほとんどは川崎市内のアルジの家で生活をしている。
このあたりのことを語りだせば、
当初書きたいと思っていたことの本筋から、
また大きく外れてしまいそうなので詳しく述べることはやめておくが、
今これを書いているパソコンそのものがオレのものではなく、
アルジのものであり、これまでここで書いたものもすべてそうであったことを考えると、非常に根深いものがある。
実際、このブログを始めるにあたりペンネームを「くび」にしようか
「イソウロウ」にしようかかなり迷ったものだった。
ともあれ、アルジに連れられ見にいったのは、
アルジの友人が所属している劇団であり、
ここのところは新作ができるたびに見にいくことになっているので、
今回もまた義理堅く観劇することにしたのだ。
さて、これから今日見たこの芝居について語るにあたり、
別にここで劇団名を挙げても問題ないのだろう。
普通のブログなら挙げるものだと思う。
がしかし、オレはそれをあえて避けたと思う。
というのは、それほど一般に有名な劇団ではないので、
下手をすれば、誰かがGoogleの検索窓にその劇団名を入れたら
この「くびの日記」が上位になってしまう可能性もありそうにも思えるからだ。
そこまで慎重になる必要があるのだろうか?
ほとんど誰も見ていないブログのくせに、自惚れるのもほどほどにしろ。
そう思われるかもしれない。
オレ自身も実はかなりそう感じている。
しかし、これまでいくつも筆禍事件を起こしてきたことでオレも少しは学習し、
なんの計画性のないままに書き進めているブログとはいえ、
自分のこと以外について書く場合は、
自分が直感的に必要と感じる以上に、
慎重にした方がいいと思うようになっている。
筆禍はもう懲りた、ごめんだ。
もっとも、このブログを始めるまでは、自分には筆禍癖というか
軽率なところがあるという自覚から、
モノを書くこと自体長らく辞めていたのだから、
そこからすればこのブログのおかげで少し回復し、
大胆になったともいえるのだろう。
それはそれでいいことだ。
まあ、いずれにしても歳を食ったってことだな。
悪くないと思う。
しかし、そんなことはさておき、
このように書けば、この劇団が素人に毛の生えた程度の集団であり、
オレがこれから彼らをケチョンケチョンにけなそうとしていると
聞こえるかもしれないが、
けっしてそういうつもりはないし、また事実にも反する。
今日もこの悪天候にもかかわらず、会場は満員であった。
それなりに人気のある劇団であり、
オレ自身もこの劇団のファンなのである。

今、先に寝ていたはずのアルジが寝ぼけた声で「早く寝ろ」とオレにいった。
明日も休みなので、まだ遊んでいてもいいのかと思っていたのだが、
なんせ狭い家であり、パソコンのキーボードを打つ音が睡眠を妨害したようだ。
もう午前3時を過ぎている。
オレも少し眠くなってきた。
続きは明日にでも書こう。

「お気に入り」に登録させていただいていた方から
挨拶もなしに勝手に登録したことへのお咎めを受け、
リンクの解除を求められた。

すみませんでした。
そういうルールがあるとは知りませんでした。
ルールというよりマナーの問題なのでしょうか。
いずれにしても、ワタシの配慮が足りず
不快な思いをさせてしまいましたことを
深くお詫び申し上げます。

ここのところ、外で飲んで帰った日以外は
寝酒の友に、このブログページを開くのが習慣になっているのだが、
その際にはまず、「お気に入り」でリンクを張らせていただいている方々の
ブログを一通り拝読する。
そして、それから酔いのまわり具合にもよるのだが、
たいていの場合は、自分も何か書こうと思いたち、
「日記を書く」を、なんのネタも着想もないままクリックしてしまう。
一番はじめのブログでも書いたが、
オレには、基本的に書くことなど何もない。
何もないが、頭に浮かんだ言葉を見切り発車で書き連ねていっても、
まあ、なんとかなる、という楽観的な思いがオレにはあり、
また加えて、匿名の笠を着たお気軽さと酒の勢いも手伝って、
気がつけばある程度の分量を毎回書いている。
書き終えた頃にはすっかり酔いもまわり、
寝ようと思えば、今すぐにでも熟睡できそうな状態ではあるが、
頭はまだブログを書いていたときの余韻のためか、
そこそこ冴えていたりもするので、
それを冷ますために、「ランダムジャンプ」をクリックし、
他の方々のブログを訪問してみる。
訪問してみて、そこにMTGという文字が見えたらすぐまたジャンプする。
このブログサイトはMTGなるものの愛好者の巣窟のようだが、
なんなのでしょうか、MTGって? 少しネットで調べてみたがよく分からない。
花札か百人一首みたいなものかと推測するが、
この手のことに詳しそうな、隣席のOさんにMTGとはなんぞやと訊いてみたところ、
「いや、なんでもないよ」と謎めいたことを言われたので、
とりあえず、なんでもないことだと理解することにしている。
ともあれ、そのなんでもないMTGとは関係なさそうなブログにジャンプできたときには、
ブログタイトル下のリード文まではちゃんと読む。
が、ちゃんと読むのはそこまでで、
ブログ本文のほうはチラッと見るだけでちゃんとは読まない。
ちゃんと読めれば読みたいのだが、
酔いと睡魔がそれを許してくれない。
「ランダムジャンプ」がどういう法則で動いているのかは知らない。
しかし、ランダムに選択しているということは、そのときジャンプしたブログに
二度と出会えない可能性も高いということだと思う。
一期一会にするには、あまりに惜しい、、、
そういう思いから、チラっと見て気になったブログは
後日もっといいコンディションのときにゆっくり読もうという企みのもと、
「お気に入り」に登録するようにしていた。
つまり、「お気に入り」に登録したブログは、
ちゃんとゆっくり読んでみたいと思ったブログなのである。

以上のとおり、
勝手に「お気に入り」に登録したことに
まったく悪意はなかったのです。
むしろ、ワタシはアナタに一方的に好意を抱いていたのです。
もうすでにリンク解除の手続きを取ってしまったので、
今回ここに書いたことはアナタには届かないのかもしれませんが、
もし今後「ランダムジャンプ」で偶然、ワタシのところに行き着かれた場合には、
ワタシのこういった思いだけでも汲み取っていただければ幸いです。
ところで、改めてアナタのブログをよく読めば、
アナタも実はMTG愛好者だったのですね。
これはどうも失礼いたしました。

5月24日の日記

2011年5月24日
5月18日の続き。
チャーリー・シーンについて思いを馳せているうちに
いつしか、待合室にいるのもオレらだけになり、
いよいよ中からお呼びがかかったわけであるが、
その中である診察室で待っていたのも、
またまたチャーリーであった。
もちろんシーンではない。
今度はブラウンだ。
善良そうな憂い顔に、赤ん坊のような頭髪。
いや、年齢も考慮に入れると、
永遠に子どもであるチャーリー・ブラウンより、
20年前のドリーの方が近いのかもしれない。
そうだ、チャーリーではない、この顔はドリーだ、ドリー・ファンク・ジュニアだ。
弟テリーに比べ、正統派、優等生のイメージの強いドリーであるが、
ジョー樋口などの証言によれば、
実際はかなり大雑把でいい加減な人だったようだ。
もっとも、それはドリーの人格的欠陥を指摘しているのではなく、
愛すべき一面、美徳として語られているようにも感じられる。
映画「レスラー」でも描かれていたとおり、
過酷なアメリカマット界においては、ほとんどのレスラーが
人格・生活共々破綻に追い込まれてしまうようだから、
世間一般の価値観で大雑把、いい加減くらいがちょうどよく、
ドリーが長きにわたって活躍できたのも、
彼のそういった性質によるところが大きかったということかもしれない。
ドリーはやはり天才レスラーなのだと思う。
多くのフォロワーを生んだテリーの徹底した狂気も、
実はドリーの天才性への反動だったに違いない。
ところでそんなことより、今流れで映画「レスラー」に言及してしまい、
同じ監督が撮った新作「ブラックスワン」について思い出したので
いろいろと忘れてしまう前に少しだけ触れておきたいような気になった。
以下、しばしこの映画についての感想――。
オレがこの映画を見たのは、
大阪訪問の翌日、5月15日である。
「プロレス」を撮った監督が、「バレエ」を撮ったときくと、
表現の振幅の大きさを感じるところであるが、
実際見てみると、やはり同じ監督の作品であり、
前作同様、血みどろで痛さの伝わる作品であった。
この辺りは、監督の性癖が反映されたのだと思う。
この監督は間違いなくドMである。
前作が肉体と現実の相克を、現実の側からドキュメントタッチで描いていたのに対し、
今作では、肉体と精神の統一を精神の側から幻想的に描いている。
そこには、この監督の成長の跡が見られるわけだが、
前作同様、商業映画として成り立たせるために小器用にまとめ過ぎた感もあり、
映画の持つ二側面、「アート」と「ビジネス」、「作家性」と「大衆性」の止揚にまでは至っていないように感じた。
同じく血みどろで痛さの伝わる表現を得意とした監督として、
初期のデビッド・フィンチャーが思い出されるが、
フィンチャーに比べると、どうしてもスケールの小ささが感じられた。
しかし、最近の映画としては珍しく、
「ここで終わってくれ!」と祈ったタイミングでちゃんと終わってくれたので、
やはりこの監督はセンスがいいし、2作目にしては上出来だろう。
「週刊文春」的にいえば、星4つ。次作はおおいに期待できる。
なんて名前だっけ、この監督?
、、、さて、そういうわけでオレは、
ドリー・ファンク・ジュニア似の精神科医と対面したわけだが、
ここからは詳細について言及することは避けたい。
オレ自身のことであれば、何とでも書けるが、
実際、診療を受けたのはオレではなく、
オレとは別の人間であったのだから。
オレは付き添いに過ぎない。
いくら、ほとんど誰も見ていないブログとはいえ、
機微情報の中でも最上位ともいえる
精神疾患に関する話をここで詳らかにするのは、
本人の了承を得ていない以上、明らかに問題がある。
よって、具体的な内容はここでは書かず、
印象というか、雑感めいたことだけ少し記しておくことにする。
朦朧とする意識の患者に代わり、
主にオレがドリーと話をしたのだが、
その際にドリーが持ち出すレトリックが、
かなりフロイド的なものの見方に依拠したものだったのには少し驚いた。
オレはそんなものは遠の昔に否定されたものだと思っていたのだが、
現役の医師の口から、そういう話を聞かされたので、
漫画か小説の世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。
しかし、とはいえ最初はいざとなれば
「このヤブ医者め!」とケンカでもしてやろうかと意気込んで
診察室の入り口をくぐっていたはずのオレが
出るときには、ある程度その話に納得し、
またドリーに信頼を置いていたことを考えると
未だにフロイトの学説は、
臨床医学として科学的に客観性のあるものかどうかというのは別にして
人間とは何かということを考えるうえでは、少なくとも
補助線的には有効なものであると実感した。
オレらはそれから、精神病院を出て、
待たせていたクルマに乗り込んだ。
そのまま、新大阪駅へ向かい、
腹が多少減っていたのでうどんを食い、
ウヰスキーのミニボトルを買い、
一人新幹線に乗って、東京へ帰ったのだった。(了)

5月20日の日記

2011年5月20日
明日からまた旅行。
先週の大阪訪問はトンボ返りだったうえに、
内容的にも旅行と呼ぶには程遠いものがあったが、
実はその前の週には群馬県へ遊びに行っており、
そのまた前の週には、5月9日のブログでしっかり報告したとおり、
三浦半島への釣り遠征を実施し、
ただ磯ブヨに刺されただけで帰ってきたりもしており、
気がつけばここのところ休みのたびに
どこかへ旅行に出かけているのだが、
明日の旅行にいたってはとうとう仕事をサボってまでいこうとしている。
いやはや、我ながら忙しいもんだ。

まあ、そういうわけで今日はウイスキーも控えめに
なるべく早く床に就こうと思うのだが、
今、一つだけ思い出したことがあるので、
忘れぬうちに、備忘録として書き留めておきたい。
手短に。

群馬県旅行初日。
関越自動車道下り。
訳あって現在免停中のオレは
助手席にすわって、オレらが乗っているのと同じ
「わ」ナンバーのクルマをフロントガラスの先に探し求めて
目をキョロキョロさせている。
カーステレオからは午前中のFM放送が流れているが、
「わ」ナンバー探しに熱中しているオレの耳には、
DJの言葉のほとんどが素通りしていく。
しかし、どうやら新作映画とのタイアップで
赤塚不二夫の特集をしているらしいことは
なんとなくわかっていた。
バカボンの歌がボサノバ風にアレンジされ、
クルマのなかにまったりとした空気をもたらす。
一方で、空気をまったく読めない人間であるオレは
ますます「わ」ナンバー探しに夢中になっていく。
そんなときに
「拝啓 赤塚不二夫様……」
と、DJが語りかけるような調子で話を始めたので一瞬、その声に意識が向かう。
どうやらリスナーからの手紙でも読み上げるらしい。
DJの調子からすると、かなりセンチメンタルな内容の手紙のようだが、
その声が耳に届くことはあっても、けっしてその内容が頭のなか入ってくることはない。それより「わ」ナンバーだ、「わ」ナンバー、、、 と、そのときDJは言った。
「……忘れたくても、思い出せません」
「ええっ?」
と、オレの口から自然に出た。それはオレの口からだけではなかった。
隣で運転している同乗者の口からも同時に出て、
狭いクルマの中で唱和されたのだった。

聞き間違えたのかと最初疑った。しかし、それなら同乗者の口からも
「ええっ?」と出たことはどう説明できるのだろう。
もしかして、この手紙を書いたリスナーがおバカで
日本語の使い方をよく知らないということなのか?
いや、それは有り得ないな。
手紙を書いたリスナーがおバカである可能性は十分ある。
しかし、ラジオ番組には何人もの構成作家がついていて、
DJが読む前には、必ず日本語の正誤を含めたチェックしているはずだ。
ラジオの作家がどれくらい優秀かは知らないが、
少なくとも「忘れたくても」とくれば、
その後に続く言葉くらいは知っているはずである。
ラジオはしゃべり言葉のみなので、
その辺りはオレら「書き言葉」を生業とする者のいい加減さを
反面教師とししっかり見習っているに違いない。要するに、
オレらはやばいことをときに勢いで書いてしまうが、
彼らはめったに言わない。
よって、リスナーおバカ説は却下となる。
ならば、DJが単純に読み間違えた可能性はないか。
この可能性もゼロではないが極めて低い。
「忘れたくても、思い出せません」と声に出して言ってみればすぐにわかるが、
これは非常に違和感を覚える日本語だ。
日本語を読む素人であるオレがそう感じるのに、プロであるDJが何も感じないわけがない。
仮にそのDJが前日失恋かなにかをして、死ぬことしか頭のなかになかったために、
ただ機会的に文字を眼で追っていくことしかできず、読み間違えたのだとしても、
どう読み間違えたのかオリジナルの文章の見当がつかない。
聞き間違えたわけでも、おバカなわけでも、読み間違えたわけでもないということは
これはこれで正しいということだろうか?
オレは少し悩んだ。そして、
そうだろう。それ以外考えられない、と思った。
だいたい「わ」ナンバーの発見に夢中だったので、
この一文の前後を全然知らないのがいけないのだ。
オレはそれから、「わ」ナンバーを見て見ぬフリをしながら、
この一文を次のように言い直して解釈することに決めた。

「忘れたい忌まわしい過去が自分にはあったはず。
しかし、それがなんだったのか思い出すことができない」。

これはまさにフロイトの「抑圧と抵抗」ではないか。
過去に受けた恐怖体験が意識下(=前意識)に留められ、
それが後々、意識上にのぼりつめていくことによる精神疾患。
しかし、そんな辛気臭い話を午前のFMではするものなのか?
しかも、故人である赤塚不二夫先生をダシにして。
こういった疑問がオレのなかには残っていた。
しかし、このときはこれ以外には考えられないので、
とりあえず納得することにして、
いつしか再び「わ」ナンバー探しに没頭していたのであった。

さて、実を言うと、
この駄文を書いているうち
あのときカーステレオから聞こえた
「忘れたくても、思い出せません」が実際はなんだったのかを
もう一度確かめたくなり、
Googleの検索窓にこの言葉を入れてみることにした。
その結果、意外なことが判明した。
さすがはGoogleなんでも出るもんですなあ、と感心した。
そんなことはさておき、
なんとこの言葉はバカボンのパパの有名な言葉だったのだ。
なるほど、その手があったか。
バカボンのパパの狂気の正体はここにあった。
赤塚作品とは、実は常人では理解しがたい一本の整然たる理論の上で成立していた。
さあ、いったい、パパは過去にどんな恐怖体験をしたのだろうか?

しかし、ネットでバカボンについて調べているうちに
いつも以上に遅い時間になり、
いつもと変わらないくらいウイスキーを飲んでいる。
もう寝ます。

1 2

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索