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12月5日の日記
2011年12月5日荒唐無稽な夢は、やがて論理的な破綻をきたし、
ここが現実世界ではないことを露呈したので、オレは目を覚まそうと意識をした。
ゆるやかに場面は変わっていく。そして、暗い部屋のなかで横たわる自分を
オレはそこに見出していく。
よかった。救われた。半分夢のなかにいながらオレはそんなことを思った。
ドクドクドクドクドクドクドク・・・
身体を揺らすように、心臓が速く、激しく、血の出し入れをしているのを感じる。
それは夢のなかから持ち越した身体的感覚であり、
まだ自分が目覚めていないのかと思わせる。
オレはそれが治まるのを待ちながら、
今まで見ていたものが夢だったこと、また今いる場所が現実世界であることの
自信を深め、そして、いつしかまた眠りに落ちていく……
夢とは、
現実世界での危機的場面や極限状況を疑似体験させることで、精神的準備、予行演習を
させるために備わった機能なのだろうか。
最近そんなことをよく考える。
もともと変な夢を見やすいほうであったが、ここのところはそれが激しい。
チャンピックス1mgを2錠毎日を服用していることの副作用なのか。
禁煙23日目。
おかげでもうタバコを吸いたいとは思わないが、
乗っている飛行機が墜落したり、原爆が頭上で投下されたり、警察にパクられたり、子猫を踏み殺したりと、 様々な非日常的な体験を夢の中でさせられている。
そういえば、タバコを吸ってしまった夢も見たが、あれは本当に夢だったのだろうか?
禁煙プログラムは全部で90日に及ぶ。まだ4分の1も終わっていないのか。悪夢は続く。
有楽町で映画「George Harrison:Living in the material world」を見た。
3時間半に及ぶ大作。こんなものはよほどのビートルマニアでない限り見には行かないだろうと思い、
開演ギリギリに映画館に入ったのだが、
蓋を開けてみたら300人くらいのキャパの会場で9分の入り。
全席予約制で、オレの好きな前の方の席がすでに埋まっていたのは不覚だった。
また、これは多少予想はしていたことだが、年齢層がすごく高い。
下手すりゃオレが最年少くらいな感じで、平均60歳くらいと推測する。
こういう映画はリアルタイムでビートルズを見た世代よりも、
むしろ後追いの世代、特にそのリアルタイムで見た世代を親に持つ
オレと同じくらいの年齢の人間が一番見に行くものだと思い込んでいた(根拠無し)ので、
少し意外ではあった。
あと、ついでに余談だが、
チケットも予定よりも高くて、2,500円也。
まあ、3時間半もあるのだから文句はないが、
3,000円しか財布になかったオレには冷や汗もんだった。
さて、映画の感想であるが、個人的な理由もあり、実に複雑な余韻を見終わったときには持っていたと言わねばならない。どのように複雑であったかーー
この映画は明確に「ジョージの音楽を堪能させたい」という意図の基に製作されたものだとわかるくらい、
音の素晴らしさが際立っていた。その点では是が非でも映画館でみなければならない映画なのだが、
一方で、途中10分間の休憩があったとはいえ、3時間半座り続けるというのは
思った以上に足やケツにくるもので、終了後、足を引きずり気味に出口に向かっていた中年の女性が
「飛行機から降りた後みたい」と言っているのを耳にしたが、これはまさに言いえて妙であった。
特にオレは途中休憩の10分間、立ち上がることを怠り、席に座って本を読んでいたものだから、
パート2が始まってそれほど経たないうちに、左ケツが痛み出し、それからは
ずっと下半身をモゾモゾさせながらの鑑賞となった。
まあ、聞けば映画館で公開しているのは日本だけだそうだから、
そもそも監督のスコセッシは日本人のケツの具合までは考慮に入れていなかったのだろう。
しかし、それにしても3時間半は映画館向きの尺ではない。
そういうわけで、正直なところ映画の音の素晴らしさに感動し、休日の大切な3時間半を費やして見た甲斐を噛み締めながらも、一方では早く終わってくれ、と心の片隅で願っていたことを告白する。複雑な余韻と言ったのは、こういうことである。
しかし、このような個人的な些事(でもないが)を除き、この映画そのものについて冷静に振り返り評価してみると、なかなかな内容であったと断言できる。
この映画によって、ジョージの知られざる一面を知れるわけではない。
また、ジョージをより好きになるかといえば、そういうわけでもない。
圧倒的な音と見事な編集によって、オレの知っているジョージ・ハリスンという男がそのまま描かれていく。
ここにスコセッシのドキュメンタリー監督としての卓説した手腕と、ベタな言い方になるが、対象への愛が感じられた。 ジョージの妻のオリビア・ハリスンも製作に加わっていることからしても、この映画はジョージの公式伝記映画という位置づけになるのであろうが、それを作れるのはやはりスコセッシだけだと思う。マニアックなものを作れる監督は他にいそうだけど。
願わくば、レノンあるいは、ディランとの関係性について、もう少し踏み込んだ内容を入れてほしかった、
レノンはともかくもディランのインタビューは少し欲しかった、スコセッシとディランは知らぬ間柄じゃないんだから……、という思いはあるのだが、それは贅沢過ぎるというものか。
文春的にいって、4.5点。
ああ、しかし頭が働かん。言葉が出てこない。これもチャンピックスのせいかな。
ここが現実世界ではないことを露呈したので、オレは目を覚まそうと意識をした。
ゆるやかに場面は変わっていく。そして、暗い部屋のなかで横たわる自分を
オレはそこに見出していく。
よかった。救われた。半分夢のなかにいながらオレはそんなことを思った。
ドクドクドクドクドクドクドク・・・
身体を揺らすように、心臓が速く、激しく、血の出し入れをしているのを感じる。
それは夢のなかから持ち越した身体的感覚であり、
まだ自分が目覚めていないのかと思わせる。
オレはそれが治まるのを待ちながら、
今まで見ていたものが夢だったこと、また今いる場所が現実世界であることの
自信を深め、そして、いつしかまた眠りに落ちていく……
夢とは、
現実世界での危機的場面や極限状況を疑似体験させることで、精神的準備、予行演習を
させるために備わった機能なのだろうか。
最近そんなことをよく考える。
もともと変な夢を見やすいほうであったが、ここのところはそれが激しい。
チャンピックス1mgを2錠毎日を服用していることの副作用なのか。
禁煙23日目。
おかげでもうタバコを吸いたいとは思わないが、
乗っている飛行機が墜落したり、原爆が頭上で投下されたり、警察にパクられたり、子猫を踏み殺したりと、 様々な非日常的な体験を夢の中でさせられている。
そういえば、タバコを吸ってしまった夢も見たが、あれは本当に夢だったのだろうか?
禁煙プログラムは全部で90日に及ぶ。まだ4分の1も終わっていないのか。悪夢は続く。
有楽町で映画「George Harrison:Living in the material world」を見た。
3時間半に及ぶ大作。こんなものはよほどのビートルマニアでない限り見には行かないだろうと思い、
開演ギリギリに映画館に入ったのだが、
蓋を開けてみたら300人くらいのキャパの会場で9分の入り。
全席予約制で、オレの好きな前の方の席がすでに埋まっていたのは不覚だった。
また、これは多少予想はしていたことだが、年齢層がすごく高い。
下手すりゃオレが最年少くらいな感じで、平均60歳くらいと推測する。
こういう映画はリアルタイムでビートルズを見た世代よりも、
むしろ後追いの世代、特にそのリアルタイムで見た世代を親に持つ
オレと同じくらいの年齢の人間が一番見に行くものだと思い込んでいた(根拠無し)ので、
少し意外ではあった。
あと、ついでに余談だが、
チケットも予定よりも高くて、2,500円也。
まあ、3時間半もあるのだから文句はないが、
3,000円しか財布になかったオレには冷や汗もんだった。
さて、映画の感想であるが、個人的な理由もあり、実に複雑な余韻を見終わったときには持っていたと言わねばならない。どのように複雑であったかーー
この映画は明確に「ジョージの音楽を堪能させたい」という意図の基に製作されたものだとわかるくらい、
音の素晴らしさが際立っていた。その点では是が非でも映画館でみなければならない映画なのだが、
一方で、途中10分間の休憩があったとはいえ、3時間半座り続けるというのは
思った以上に足やケツにくるもので、終了後、足を引きずり気味に出口に向かっていた中年の女性が
「飛行機から降りた後みたい」と言っているのを耳にしたが、これはまさに言いえて妙であった。
特にオレは途中休憩の10分間、立ち上がることを怠り、席に座って本を読んでいたものだから、
パート2が始まってそれほど経たないうちに、左ケツが痛み出し、それからは
ずっと下半身をモゾモゾさせながらの鑑賞となった。
まあ、聞けば映画館で公開しているのは日本だけだそうだから、
そもそも監督のスコセッシは日本人のケツの具合までは考慮に入れていなかったのだろう。
しかし、それにしても3時間半は映画館向きの尺ではない。
そういうわけで、正直なところ映画の音の素晴らしさに感動し、休日の大切な3時間半を費やして見た甲斐を噛み締めながらも、一方では早く終わってくれ、と心の片隅で願っていたことを告白する。複雑な余韻と言ったのは、こういうことである。
しかし、このような個人的な些事(でもないが)を除き、この映画そのものについて冷静に振り返り評価してみると、なかなかな内容であったと断言できる。
この映画によって、ジョージの知られざる一面を知れるわけではない。
また、ジョージをより好きになるかといえば、そういうわけでもない。
圧倒的な音と見事な編集によって、オレの知っているジョージ・ハリスンという男がそのまま描かれていく。
ここにスコセッシのドキュメンタリー監督としての卓説した手腕と、ベタな言い方になるが、対象への愛が感じられた。 ジョージの妻のオリビア・ハリスンも製作に加わっていることからしても、この映画はジョージの公式伝記映画という位置づけになるのであろうが、それを作れるのはやはりスコセッシだけだと思う。マニアックなものを作れる監督は他にいそうだけど。
願わくば、レノンあるいは、ディランとの関係性について、もう少し踏み込んだ内容を入れてほしかった、
レノンはともかくもディランのインタビューは少し欲しかった、スコセッシとディランは知らぬ間柄じゃないんだから……、という思いはあるのだが、それは贅沢過ぎるというものか。
文春的にいって、4.5点。
ああ、しかし頭が働かん。言葉が出てこない。これもチャンピックスのせいかな。
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