6月13日の日記
2011年6月13日もう少し涼しい頃ならよかったのだがこう暑くなると、
家に帰って、ノートパソコンを開けるのが嫌になってくる。
ウチのノートパソコンは異常に熱を発する。
誇張抜きでキーボードを打っているだけで全身が汗だくになる。
部屋の温度も2,3度くらい上げているのではなかろうか。
おまけに、このパソコンはカフカの「橋」という短編小説を思い出させることを時々仕出かす。
自らの重さに耐えかねて、勝手に崩壊する橋。
自らの熱さに耐えかねて、勝手に電源が落ちるパソコン。
両方ともまさに不条理だ。
オレはその不条理を何度味わったことであろう。
まあ、そんなわけで、
暑い季節の間は、このブログもめったに書かないつもりだし、
書いても短いものにしたいと思っている。ああ、暑い。
本当に暑い。手短に書こう。
以下、備忘録。
昨日、「さや侍」鑑賞。
内容について具体的なことは申すまい。
この映画、起承転結でいえば「承」から話が始まっている。
これは短編小説ではよく使われる手法であり、
つまり、その場合「起」とはその話の主人公なりの過去の人生のこととなる。
「承」から始めるとはどういうことか。
その場合、その本来「起」であるべき内容は話のなかでは暗黙のものであり、
直接語るのではないが、実は話の要であるために話の全体をとおして、浮き出させていくことが必要となる。
それをやって、初めて「結」が納得もいき、感動をも生むものになるのだが、
この映画では、このような暗黙の「起」への配慮がまったく足りていないとは言わないが、少なくとも、話の展開に有効になるようなことはやっていない。
これは明らかにこの映画の欠点であると思う。
しかし、そういったストーリー展開の構造上の欠点をカバーするだけの、監督の思い入れの熱さを感じたのも事実であり、正直感動したし、余韻のようなものを未だに引きずっているのも事実である。
しかし、だから同時に惜しいとも言いたくなる。
松本人志さんの映画はこれまで発表された2本とも映画館で見たが、
デビュー作の「大日本人」はまったく評価できなかった。
俗っぽい言い方になるが、「守りに入っている」印象を受けただけで、これでは駄目だと思った。文春的に言えば、2点である。もっとも最近海外で評価されていると聞いて、
見直している部分もあるのだが。
2作目の「しんぼる」は、周りの低評価にもかかわらず、実は個人的には嫌いではなかった。
「大日本人」で失望していたオレからすれば、予想をはるかに上回る出来だった。
ただ、この作品を見て、ストーリーテラーとしては、それほど才能がないのかもしれないとも思った。バラエティ同様、アイデア一発勝負で作った作品のようにも感じてしまったのだ。
しかし、それでも楽しめた。笑いがベタだと批判されていたが、個人的には「さや侍」を含めて一番笑えた映画であった。文春的に言えば、他人にあまり勧める気になれないことがマイナスとなり、3点か。
「大日本人」、「しんぼる」と比べて、「さや侍」は一番映画らしい映画であることは誰もが認めることであろう。
「しんぼる」を見て、ストーリーテラーとしてそれほど才能はないと感じたが、
この映画を見ても、その思いはやはり残る。
しかし、「大日本人」のように「守りに入った」作品という印象は受けない。
むしろ、この作品は攻めている。
文春的に言えば、3点としたい。
家に帰って、ノートパソコンを開けるのが嫌になってくる。
ウチのノートパソコンは異常に熱を発する。
誇張抜きでキーボードを打っているだけで全身が汗だくになる。
部屋の温度も2,3度くらい上げているのではなかろうか。
おまけに、このパソコンはカフカの「橋」という短編小説を思い出させることを時々仕出かす。
自らの重さに耐えかねて、勝手に崩壊する橋。
自らの熱さに耐えかねて、勝手に電源が落ちるパソコン。
両方ともまさに不条理だ。
オレはその不条理を何度味わったことであろう。
まあ、そんなわけで、
暑い季節の間は、このブログもめったに書かないつもりだし、
書いても短いものにしたいと思っている。ああ、暑い。
本当に暑い。手短に書こう。
以下、備忘録。
昨日、「さや侍」鑑賞。
内容について具体的なことは申すまい。
この映画、起承転結でいえば「承」から話が始まっている。
これは短編小説ではよく使われる手法であり、
つまり、その場合「起」とはその話の主人公なりの過去の人生のこととなる。
「承」から始めるとはどういうことか。
その場合、その本来「起」であるべき内容は話のなかでは暗黙のものであり、
直接語るのではないが、実は話の要であるために話の全体をとおして、浮き出させていくことが必要となる。
それをやって、初めて「結」が納得もいき、感動をも生むものになるのだが、
この映画では、このような暗黙の「起」への配慮がまったく足りていないとは言わないが、少なくとも、話の展開に有効になるようなことはやっていない。
これは明らかにこの映画の欠点であると思う。
しかし、そういったストーリー展開の構造上の欠点をカバーするだけの、監督の思い入れの熱さを感じたのも事実であり、正直感動したし、余韻のようなものを未だに引きずっているのも事実である。
しかし、だから同時に惜しいとも言いたくなる。
松本人志さんの映画はこれまで発表された2本とも映画館で見たが、
デビュー作の「大日本人」はまったく評価できなかった。
俗っぽい言い方になるが、「守りに入っている」印象を受けただけで、これでは駄目だと思った。文春的に言えば、2点である。もっとも最近海外で評価されていると聞いて、
見直している部分もあるのだが。
2作目の「しんぼる」は、周りの低評価にもかかわらず、実は個人的には嫌いではなかった。
「大日本人」で失望していたオレからすれば、予想をはるかに上回る出来だった。
ただ、この作品を見て、ストーリーテラーとしては、それほど才能がないのかもしれないとも思った。バラエティ同様、アイデア一発勝負で作った作品のようにも感じてしまったのだ。
しかし、それでも楽しめた。笑いがベタだと批判されていたが、個人的には「さや侍」を含めて一番笑えた映画であった。文春的に言えば、他人にあまり勧める気になれないことがマイナスとなり、3点か。
「大日本人」、「しんぼる」と比べて、「さや侍」は一番映画らしい映画であることは誰もが認めることであろう。
「しんぼる」を見て、ストーリーテラーとしてそれほど才能はないと感じたが、
この映画を見ても、その思いはやはり残る。
しかし、「大日本人」のように「守りに入った」作品という印象は受けない。
むしろ、この作品は攻めている。
文春的に言えば、3点としたい。
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