5月24日の日記
2011年5月24日5月18日の続き。
チャーリー・シーンについて思いを馳せているうちに
いつしか、待合室にいるのもオレらだけになり、
いよいよ中からお呼びがかかったわけであるが、
その中である診察室で待っていたのも、
またまたチャーリーであった。
もちろんシーンではない。
今度はブラウンだ。
善良そうな憂い顔に、赤ん坊のような頭髪。
いや、年齢も考慮に入れると、
永遠に子どもであるチャーリー・ブラウンより、
20年前のドリーの方が近いのかもしれない。
そうだ、チャーリーではない、この顔はドリーだ、ドリー・ファンク・ジュニアだ。
弟テリーに比べ、正統派、優等生のイメージの強いドリーであるが、
ジョー樋口などの証言によれば、
実際はかなり大雑把でいい加減な人だったようだ。
もっとも、それはドリーの人格的欠陥を指摘しているのではなく、
愛すべき一面、美徳として語られているようにも感じられる。
映画「レスラー」でも描かれていたとおり、
過酷なアメリカマット界においては、ほとんどのレスラーが
人格・生活共々破綻に追い込まれてしまうようだから、
世間一般の価値観で大雑把、いい加減くらいがちょうどよく、
ドリーが長きにわたって活躍できたのも、
彼のそういった性質によるところが大きかったということかもしれない。
ドリーはやはり天才レスラーなのだと思う。
多くのフォロワーを生んだテリーの徹底した狂気も、
実はドリーの天才性への反動だったに違いない。
ところでそんなことより、今流れで映画「レスラー」に言及してしまい、
同じ監督が撮った新作「ブラックスワン」について思い出したので
いろいろと忘れてしまう前に少しだけ触れておきたいような気になった。
以下、しばしこの映画についての感想――。
オレがこの映画を見たのは、
大阪訪問の翌日、5月15日である。
「プロレス」を撮った監督が、「バレエ」を撮ったときくと、
表現の振幅の大きさを感じるところであるが、
実際見てみると、やはり同じ監督の作品であり、
前作同様、血みどろで痛さの伝わる作品であった。
この辺りは、監督の性癖が反映されたのだと思う。
この監督は間違いなくドMである。
前作が肉体と現実の相克を、現実の側からドキュメントタッチで描いていたのに対し、
今作では、肉体と精神の統一を精神の側から幻想的に描いている。
そこには、この監督の成長の跡が見られるわけだが、
前作同様、商業映画として成り立たせるために小器用にまとめ過ぎた感もあり、
映画の持つ二側面、「アート」と「ビジネス」、「作家性」と「大衆性」の止揚にまでは至っていないように感じた。
同じく血みどろで痛さの伝わる表現を得意とした監督として、
初期のデビッド・フィンチャーが思い出されるが、
フィンチャーに比べると、どうしてもスケールの小ささが感じられた。
しかし、最近の映画としては珍しく、
「ここで終わってくれ!」と祈ったタイミングでちゃんと終わってくれたので、
やはりこの監督はセンスがいいし、2作目にしては上出来だろう。
「週刊文春」的にいえば、星4つ。次作はおおいに期待できる。
なんて名前だっけ、この監督?
、、、さて、そういうわけでオレは、
ドリー・ファンク・ジュニア似の精神科医と対面したわけだが、
ここからは詳細について言及することは避けたい。
オレ自身のことであれば、何とでも書けるが、
実際、診療を受けたのはオレではなく、
オレとは別の人間であったのだから。
オレは付き添いに過ぎない。
いくら、ほとんど誰も見ていないブログとはいえ、
機微情報の中でも最上位ともいえる
精神疾患に関する話をここで詳らかにするのは、
本人の了承を得ていない以上、明らかに問題がある。
よって、具体的な内容はここでは書かず、
印象というか、雑感めいたことだけ少し記しておくことにする。
朦朧とする意識の患者に代わり、
主にオレがドリーと話をしたのだが、
その際にドリーが持ち出すレトリックが、
かなりフロイド的なものの見方に依拠したものだったのには少し驚いた。
オレはそんなものは遠の昔に否定されたものだと思っていたのだが、
現役の医師の口から、そういう話を聞かされたので、
漫画か小説の世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。
しかし、とはいえ最初はいざとなれば
「このヤブ医者め!」とケンカでもしてやろうかと意気込んで
診察室の入り口をくぐっていたはずのオレが
出るときには、ある程度その話に納得し、
またドリーに信頼を置いていたことを考えると
未だにフロイトの学説は、
臨床医学として科学的に客観性のあるものかどうかというのは別にして
人間とは何かということを考えるうえでは、少なくとも
補助線的には有効なものであると実感した。
オレらはそれから、精神病院を出て、
待たせていたクルマに乗り込んだ。
そのまま、新大阪駅へ向かい、
腹が多少減っていたのでうどんを食い、
ウヰスキーのミニボトルを買い、
一人新幹線に乗って、東京へ帰ったのだった。(了)
チャーリー・シーンについて思いを馳せているうちに
いつしか、待合室にいるのもオレらだけになり、
いよいよ中からお呼びがかかったわけであるが、
その中である診察室で待っていたのも、
またまたチャーリーであった。
もちろんシーンではない。
今度はブラウンだ。
善良そうな憂い顔に、赤ん坊のような頭髪。
いや、年齢も考慮に入れると、
永遠に子どもであるチャーリー・ブラウンより、
20年前のドリーの方が近いのかもしれない。
そうだ、チャーリーではない、この顔はドリーだ、ドリー・ファンク・ジュニアだ。
弟テリーに比べ、正統派、優等生のイメージの強いドリーであるが、
ジョー樋口などの証言によれば、
実際はかなり大雑把でいい加減な人だったようだ。
もっとも、それはドリーの人格的欠陥を指摘しているのではなく、
愛すべき一面、美徳として語られているようにも感じられる。
映画「レスラー」でも描かれていたとおり、
過酷なアメリカマット界においては、ほとんどのレスラーが
人格・生活共々破綻に追い込まれてしまうようだから、
世間一般の価値観で大雑把、いい加減くらいがちょうどよく、
ドリーが長きにわたって活躍できたのも、
彼のそういった性質によるところが大きかったということかもしれない。
ドリーはやはり天才レスラーなのだと思う。
多くのフォロワーを生んだテリーの徹底した狂気も、
実はドリーの天才性への反動だったに違いない。
ところでそんなことより、今流れで映画「レスラー」に言及してしまい、
同じ監督が撮った新作「ブラックスワン」について思い出したので
いろいろと忘れてしまう前に少しだけ触れておきたいような気になった。
以下、しばしこの映画についての感想――。
オレがこの映画を見たのは、
大阪訪問の翌日、5月15日である。
「プロレス」を撮った監督が、「バレエ」を撮ったときくと、
表現の振幅の大きさを感じるところであるが、
実際見てみると、やはり同じ監督の作品であり、
前作同様、血みどろで痛さの伝わる作品であった。
この辺りは、監督の性癖が反映されたのだと思う。
この監督は間違いなくドMである。
前作が肉体と現実の相克を、現実の側からドキュメントタッチで描いていたのに対し、
今作では、肉体と精神の統一を精神の側から幻想的に描いている。
そこには、この監督の成長の跡が見られるわけだが、
前作同様、商業映画として成り立たせるために小器用にまとめ過ぎた感もあり、
映画の持つ二側面、「アート」と「ビジネス」、「作家性」と「大衆性」の止揚にまでは至っていないように感じた。
同じく血みどろで痛さの伝わる表現を得意とした監督として、
初期のデビッド・フィンチャーが思い出されるが、
フィンチャーに比べると、どうしてもスケールの小ささが感じられた。
しかし、最近の映画としては珍しく、
「ここで終わってくれ!」と祈ったタイミングでちゃんと終わってくれたので、
やはりこの監督はセンスがいいし、2作目にしては上出来だろう。
「週刊文春」的にいえば、星4つ。次作はおおいに期待できる。
なんて名前だっけ、この監督?
、、、さて、そういうわけでオレは、
ドリー・ファンク・ジュニア似の精神科医と対面したわけだが、
ここからは詳細について言及することは避けたい。
オレ自身のことであれば、何とでも書けるが、
実際、診療を受けたのはオレではなく、
オレとは別の人間であったのだから。
オレは付き添いに過ぎない。
いくら、ほとんど誰も見ていないブログとはいえ、
機微情報の中でも最上位ともいえる
精神疾患に関する話をここで詳らかにするのは、
本人の了承を得ていない以上、明らかに問題がある。
よって、具体的な内容はここでは書かず、
印象というか、雑感めいたことだけ少し記しておくことにする。
朦朧とする意識の患者に代わり、
主にオレがドリーと話をしたのだが、
その際にドリーが持ち出すレトリックが、
かなりフロイド的なものの見方に依拠したものだったのには少し驚いた。
オレはそんなものは遠の昔に否定されたものだと思っていたのだが、
現役の医師の口から、そういう話を聞かされたので、
漫画か小説の世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。
しかし、とはいえ最初はいざとなれば
「このヤブ医者め!」とケンカでもしてやろうかと意気込んで
診察室の入り口をくぐっていたはずのオレが
出るときには、ある程度その話に納得し、
またドリーに信頼を置いていたことを考えると
未だにフロイトの学説は、
臨床医学として科学的に客観性のあるものかどうかというのは別にして
人間とは何かということを考えるうえでは、少なくとも
補助線的には有効なものであると実感した。
オレらはそれから、精神病院を出て、
待たせていたクルマに乗り込んだ。
そのまま、新大阪駅へ向かい、
腹が多少減っていたのでうどんを食い、
ウヰスキーのミニボトルを買い、
一人新幹線に乗って、東京へ帰ったのだった。(了)
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