5月9日の日記
2011年5月9日ここのところ、「ひとりじゃない」という言葉をよく耳にするが、
そんなときには、
、、、そんなことを言われても少しも慰めにはならんよ、
いや、たしかにひとりではないとは思うよ、
世の中これだけ人間がいれば、自分と似た境遇の輩もなかにはいるんだろう、
当たり前の話だ、そんなことは言われなくてもわかってる、
それより、「ひとりじゃない」と言っているヤツ、
コイツは「ひとりじゃない」うちのひとりなのか?
「ひとりじゃない」うちのひとりに「ひとりじゃない」と言われるならまだいいが、
同じ苦しみをのなかにいないヤツにそんなこと言われたくないよ、
だいたい偉そうなのが気にくわん、、、
などと、思いそうになる。
が、そのとき同時に、
、、、人が善意で言っていることにたいしてそんなことを思うもんじゃない、
そんなことを思うのは自分を貶めること以外のなにものでもない、
仮に「ひとりじゃない」という言葉が善意からではなく偽善から発せられたものであっても、
それで励まされる人間がいるのなら、それでいいのだ、
結果良ければすべて良し、
ていうか、なにもやっていないオマエは一体何様なんだ、
人のことを偉そうにと言う前に、少しはオノレを省みろ、、、
と、もう一人の自分がしゃしゃり出てくるので、
前の自分は急いで、頭のなかで言葉をもみ消す。
そこで、結局、
そう思いそうになった。が、オレはそんなことまったく思ってもいない、と
一連の意識の流れを頭の片隅で整理してみるのだが、
そのときには、並行してなにやらまた別のどうでもいいことに
思いをはせていたりもする。
ところで、改めて考えてみるに
苦しいときに「ひとりじゃない」と言われて、ほんとうに励まされるものなのだろうか?
「ひとりじゃない」という事実はたしかに励みにもなる。
いや、もっと正確にいえば、
「ひとりじゃない」という事実に励まされのならば、
その「ひとり」より不幸な人間にはもっと励まされるはずである。
この辺りは辛気臭い話なので無意味かもしれないのでこれ以上はやめておこう。
しかし、現実の場で「ひとりじゃない」と他人に言われたとしたら、
やはり「その根拠は?」とたずねたくなり、
それにたいして「キミにはみんながついているじゃないか」などと言われたときには、
思わず「はいはい、わかったわかった、ありがとさん!」などと言ってしまいたくなるだろう。
いや、それではちょっとトゲがあるな。
実際には「ああ、なるほど」や「うん、そうですね」などと言って、
波風立てぬようにするのかもしれない。たぶん、そうだ。
でもいずれにしても、言葉で言われるだけでは物足りなく、
結局はネットで検索して、ひとりでないことを確認してしまうのだと思う。
例えば、
今さっきも、昨日からの苦しみの原因である
「磯ブヨ」をgoogleの検索窓に入れた。
約8,950件(0.19秒)
オレにはこんなにも仲間がいた。
ひとりじゃない。
たしかに励みになる。が、痒みはまったく治まらない。
また、いくつかの磯ブヨ被害にかんするブログを閲覧していてもう一つ気がついたことがあった。
ほとんどのブログに見覚えがある。
毎年夏場前になると刺されては苦しみ、仲間をネットで探していたんだな。
「磯ブヨ 毎年刺される」
約2,170件(0.29秒)
この結果もまた、多少気休めにはなった。が、痒さはやはり一向に治まらない。
痒いだけならまだいいが、そのうちパンパンに腫れて痛くなり、熱まで帯びてくる。
約2週間この苦しみは続く。毎年このパターンだ。
もう、わかってる。
しかし、わかっているなら、なんで事前に「磯ブヨ 対策」とでも検索しておかなかったのか。
まあ、そんなもんだな。
そんなときには、
、、、そんなことを言われても少しも慰めにはならんよ、
いや、たしかにひとりではないとは思うよ、
世の中これだけ人間がいれば、自分と似た境遇の輩もなかにはいるんだろう、
当たり前の話だ、そんなことは言われなくてもわかってる、
それより、「ひとりじゃない」と言っているヤツ、
コイツは「ひとりじゃない」うちのひとりなのか?
「ひとりじゃない」うちのひとりに「ひとりじゃない」と言われるならまだいいが、
同じ苦しみをのなかにいないヤツにそんなこと言われたくないよ、
だいたい偉そうなのが気にくわん、、、
などと、思いそうになる。
が、そのとき同時に、
、、、人が善意で言っていることにたいしてそんなことを思うもんじゃない、
そんなことを思うのは自分を貶めること以外のなにものでもない、
仮に「ひとりじゃない」という言葉が善意からではなく偽善から発せられたものであっても、
それで励まされる人間がいるのなら、それでいいのだ、
結果良ければすべて良し、
ていうか、なにもやっていないオマエは一体何様なんだ、
人のことを偉そうにと言う前に、少しはオノレを省みろ、、、
と、もう一人の自分がしゃしゃり出てくるので、
前の自分は急いで、頭のなかで言葉をもみ消す。
そこで、結局、
そう思いそうになった。が、オレはそんなことまったく思ってもいない、と
一連の意識の流れを頭の片隅で整理してみるのだが、
そのときには、並行してなにやらまた別のどうでもいいことに
思いをはせていたりもする。
ところで、改めて考えてみるに
苦しいときに「ひとりじゃない」と言われて、ほんとうに励まされるものなのだろうか?
「ひとりじゃない」という事実はたしかに励みにもなる。
いや、もっと正確にいえば、
「ひとりじゃない」という事実に励まされのならば、
その「ひとり」より不幸な人間にはもっと励まされるはずである。
この辺りは辛気臭い話なので無意味かもしれないのでこれ以上はやめておこう。
しかし、現実の場で「ひとりじゃない」と他人に言われたとしたら、
やはり「その根拠は?」とたずねたくなり、
それにたいして「キミにはみんながついているじゃないか」などと言われたときには、
思わず「はいはい、わかったわかった、ありがとさん!」などと言ってしまいたくなるだろう。
いや、それではちょっとトゲがあるな。
実際には「ああ、なるほど」や「うん、そうですね」などと言って、
波風立てぬようにするのかもしれない。たぶん、そうだ。
でもいずれにしても、言葉で言われるだけでは物足りなく、
結局はネットで検索して、ひとりでないことを確認してしまうのだと思う。
例えば、
今さっきも、昨日からの苦しみの原因である
「磯ブヨ」をgoogleの検索窓に入れた。
約8,950件(0.19秒)
オレにはこんなにも仲間がいた。
ひとりじゃない。
たしかに励みになる。が、痒みはまったく治まらない。
また、いくつかの磯ブヨ被害にかんするブログを閲覧していてもう一つ気がついたことがあった。
ほとんどのブログに見覚えがある。
毎年夏場前になると刺されては苦しみ、仲間をネットで探していたんだな。
「磯ブヨ 毎年刺される」
約2,170件(0.29秒)
この結果もまた、多少気休めにはなった。が、痒さはやはり一向に治まらない。
痒いだけならまだいいが、そのうちパンパンに腫れて痛くなり、熱まで帯びてくる。
約2週間この苦しみは続く。毎年このパターンだ。
もう、わかってる。
しかし、わかっているなら、なんで事前に「磯ブヨ 対策」とでも検索しておかなかったのか。
まあ、そんなもんだな。
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